愛国者、古くて新しい言葉である。この言葉なしに成り立たない国といえばアメリカ合衆国だが、この言葉であわや亡国の瀬戸際に立たされたのは我国にほかならない。愛国とは何か? 愛知、愛人、愛妻家、等など、愛のつく単語は山ほどあるが、愛とは何かに就いては恐らくどれだけ時間を費やしても語り尽せまい。ちなみに愛知をフィロソフィーの訳語=哲学のひそみに倣えば、愛国は国学、即ち国家・国史論と言う程の意味になろう。事実、欧米諸国においては国家といえば戦争史の中にしか位置づけられない。つまり戦争が愛国者の必要条件であった。もしかしたら、それが必要充分条件とはならないから休戦があるのかも知れない。辛辣な風刺家、ピアスの有名な定義に従えば平和とは休戦状態のことであった。一説によると正真正銘の平和は国家以前の古代イオニア社会にしか見出されないものらしい。国家自体を必要悪と見做すのがホッブスのリヴァイサン論であることは言うまでもない。
ともあれ、目下の険悪な国際情勢において、外交上の最終カードが戦争であれば、丸腰外交の限界は眼に見えている。愛国心という共通の基盤に立ちながら、この点で微妙に意見が対立する両者の論陣だが、夫々に水も漏らさぬ配備がある。日露戦争の圧倒的な勝利に始まり、太平洋戦争の無条件降伏で幕を閉じた我国の戦後策としてどちらが有効なのかは、本書では結論めいたことは言っていない。抹香臭い訓示や教条主義に陥りやすい類書と異なり、重要な論点を摘出することで、大方が戦争を知らない世代の認識に委ねられている。それゆえ態度言及にはあくまでも慎重を期し、東京裁判をある意味で茶番としながらも、愛国心とは何かを背景に、軍事専門家の精緻な分析力を駆使して幕末から明治、大正、昭和に渉り考証している。このような正しい事実関係を通して見えてくるものこそ、本書のテーマとなった愛国者の掛値なしの条件である。
国体の花と散った特攻隊の英霊供養と富国強兵ムードを同一に論うことは勿論のこと、平和ボケや戦争音痴の脆弱な基盤のまま憲法改正に喧々諤々となっても所詮は無駄ごとである。それこそ完璧さが裏目に出て使い物にならなかった戦艦大和のように、国防のコの字にすらならないだろう。<勝算なしの戦争>と総括することで種々の敗因を捨象してしまっては身もふたもあるまい。陸海軍のエリート達の軍事戦略を多角的に検証することで、現在も尾を引く戦時下のマスコミ操作や民意の動向に就いての功罪が浮き彫りされることになるのだが、もし仮に、空転国会の慢性化で橋下政権が実現して暴走老人が舵取りをしょうものなら、朝鮮王国以上に珍無類な日本丸が船出しないとも限らない。グローバリズムで大揺れの2006年発刊の本書には、今日的な話題に事欠かないばかりか、ノウハウの一杯詰まったポパイのほうれん草の缶詰のような活力源となること間違いなしの、何よりも外交重視の国際的良心に裏付けられた確かな愛国主義がある。
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