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日付:

2005/08/22

タイトル:
赤い魚
著者:
Aja & 村田兼一 
出版社:
成星出版
書評:

 

 どこかがどことなく違う。−芸術かポルノグラフィーかを結論づける厳密な定義といえばこれだけだ。確かに古くて新しい火種だが、いまひとつ見せ場に欠けるのは、いつのまにか政治的なプロパガンダで揉消されてしまう、その脆弱さによるのだろう。

 かって、アンデパンダン展と浮浪者で上野の森が賑わっていた頃、アンダーグランドや日活ポルノは性の開放と芸術の大衆化に一役買わされていた。新宿はスノッブの溜り場で、「ゴールデン・ストライカー」を聴きながら河岸を変え、ジンに溺れる純粋病患者も少なくなかった。寄らば大樹のオジン臭さを嫌って、ロックの火薬で自爆する若者たちもいた。

 比較的穏やかだったのは日比谷のシネマ街とコモンセンスの牙城とも言うべき野外公会堂だろう。丸の内のどのビルもそろそろ本気になり始めていたが、靴も太鼓も破れっぱなしではなかったろうか。その証拠に雨後の筍のような十字架像のもぐら叩きで主婦は台所に落ち着かず、夜は主人が眠れない。何のことはない、アバンギャルドが神であったのだ。

 丁度その頃の話だ。谷崎文学の映画化で話題を呼んだ「白日夢」が、スクリーンの常識を吹き飛ばしたのは。新しい映像作家の誕生には緊迫した空気が漂い、老いも若きも興奮の渦に巻かれた。それにしても映像の至美がエロティシズムとは如何なものか? 戦後15年といえば、まだ進駐軍のチョコレートの味も忘れられない、そんな時代である。

 「天女地底人説」−別に支持するわけでないが、もしかしたら本当かも知れない。因みに天狗の試し切りは修験僧の頚を斜めに刎ね、天女の奏楽は六根清浄の氷の柱と垂直に交わる。どこぞの道場である必要はない。我々は紙一重のところで天人を損なう。

 こんな突飛な考えに襲われたのも、へんな子が出現したからだ。天狗の迷子でないとしたら、天女のはしくれに相違あるまい。魚族だから、水に還る悦びも知っている。

 「希望」の名に濁点とイニシャルは要らない。Aja アヤ あわ 気泡。彼女はまるで金魚鉢に沈む夕陽のボレロだ。

 都会派のアジトでは某サロンでの彼女のライブが評判となり、今では隠れフリークもちらほらする。水瓶座生まれの20歳。セカンド・アルバム「赤い魚」でほぼ輪郭を知られ、今後が期待される新人の一人。

   

   歪んだ唇 涎を垂らし

   何をいつも 舌を巻いて歌ってる?

   

   外に 出ようか

   ここから 出ようか

    ・・・汚れた 雪

       いいえ これは 桜の 花びら・・・

   月の影を追いながら

   何にもないね 何でもないね

   二人だけだね

   二人きりだね

   月の影を追いながら

   2人の歌は終わらない

   だけど その前に

   帰りたくなった時のために

   家をつくっておこうよ

   立派でなくていい

   2人だけの家を

      

      「桜の花びら・エッセンス」

 

 太陽と星と魚の住む町。ランボーに手をひかれ其処へ行きたいと言う。生い立ちの記によれば本人はネガティブな性格の持ち主、(ネクラとかオタクとかではない) −この詩にはスワンベルグかデルボーの絵を想わせる不思議な優しさがある。

 

 

 

 


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