突然の衆議院出馬宣言で世間を煙に巻いた石原慎太郎知事に、どの程度の深慮遠謀があったかは不明だが、そこに待ったなしの野田内閣退陣の合いの手である。議会は異例の慌しさで三極構造となり、目下のところ二極体制に向けて収斂中。尖閣諸島問題のお手つきでドラゴンの逆鱗に触れ波風立てたまではよい。結党の第一声が「暴走老人の石原慎太郎です・・・」ではマッチョかガチョ〜ンかわからない。些か冷や汗ものではないか。多寡がヨットの腕前くらいで、まさか軍艦大和は繰り出せまい。それはないでしょうの「太陽の党」改め「日本維新の会」も野合剥き出しで何ともはや忌々しい。またぞろ一億一心、大景観を目前にレミングのように雪崩落ちんばかりじゃないか。おい、そうだろ日本人! 「その臭えのなんのって、おいら、向こうむきになったオットセイ」と、かつて戦乱のどまんなかで、詩人・金子光晴は持ち前の反骨ぶりを披露した。薮から棒でもかまわない。何処のどなたであろうと問いはしない。こんなシナリオ許せない、と悲痛な文句のひとつや二つ聞こえてきてもよさそうなものだが・・・・。
どえらい隣人・中国には、好きなように手で掘れる「柔らかい土」と揶揄され、これ又、結構大物の熊公・ロシアにも「アメリカの下僕」と蔑まれていきり立ち、きっと真珠湾でも思い出したのだろう。チューブ入りの練り歯磨きじゃあるまいし、もともと身の程知らずの安請け負い。核々しかじか、一個2億5千万円のピカドンがこのちっぽけな島国の二都心をぶち壊しでもしたら、一人あたりが5円玉で吹っ飛んじまうぜよ。ペンタゴン・ブランドの孫引き情報にしがみつき、かようなハウツーの缶詰とあいなった本書だが、今度ばかりは二次加工にいくら手間隙かけてもかけすぎということには絶対ならない。頼むぜよ、一橋総合研究所殿、古ぼけた勲章の埃をはたいて肩につけ、あんまりええ恰好しなさんな。おや何故だろう、こやつ鏡に写らない。ふと思うことあって新潮社版・三島由紀夫全集の別巻・対談集をぱらぱらとめくってみたら、あったぞなもし、きな臭い虫の知らせとやらが・・・。
三島 「やりましょう、和室でね。でも、君とおれと二人死んだら、さぞ世間はせいせいするだろう。(笑) 喜ぶ人が一杯いる。早く死んじゃったほうがいい。」
石原 「考えただけでも死ねないな。」
(三島の亡霊) 「ひとりで死ね! このくたばり損ないの唐変木。」
ひとは忘れられて死ぬのではない。死んで忘れられるのだ。中々、自画自賛とはいかないもので、記者会見や講演で、矢鱈に眼をしょぼつかせるのは、逸脱が本命の物書きが、己の場違いに気づいているからだろう。地球の傾きに手をかけてまっすぐにしたら毀れてしまう。勘弁なでは済まんことやろ。そんなのは三歳の子供にもわかる道理ではないか。案外口達者だけなのかもしれない。こころたがえる会(=異心の会)でないことを願うばかりだ。
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