奇妙なほてりやら、ひんやりとした肌触りやら、すぐそばに魂の気配のようなものまで感じながら、いつの間にか言葉と仲良しになってしまう。書斎の闇にぽっと浮かぶこの本には縁日の夜店の和みにも似た懐かしさがあった。
原初の庭には子供も大人もない。
吉田一穂から三歳の子供の詩まで、布袋さまの瓢箪からあれよあれよと飛び出す。
高橋睦郎の「鳩」は、処女詩集の中でも取分け卓越した一篇。
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あんたのほうが と あのひとが言った
いけないわ と あたしがうつむいた
あんたが好きだ と あのひとが鳩をはなした
逃げたわ と あたしがつぶやいた
あのひとのうでの中で
「ミノ あたしの雄牛」より
ふる郷は波にうたるる月夜かな
これは一穂である。続いて郁也の句。
切株やあるくぎんなんぎんのよる
この殺し文句はやはりこんな風に納得すべきだろう。
<作品「切株や・・」は、いきなり読者を不思議なドラマの現場に立ちあわせます。切株のほの暗がり。そのなかから銀杏たちが歩き出る。たちまち、霧が湧き出て、あたりは銀の夜となる。まさに童話。
しかし、童話の特質は、読者をも登場人物にしてしまうことです。気付くと、切株のそばで目をくりくりさせているリスです、あなたも。
超日常?だが、これは、赤ん坊のあなたの体験した世界だったのでは?>
あのねママ
ボクどうして生まれてきたのかしってる?
ボクねママにあいたくて
うまれてきたんだよ
川崎洋・編「子どもの詩」より
まるで、メビウスの輪のように大人は子どもに、子どもは大人になる。
それと言うのも詩人・宗左近の捻りの利いたお呪いだからである。
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