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日付:

 

2008/2/8

タイトル:
アレン・ギンズバーグ詩集
著者:

アレン・ギンズバーグ/諏訪 優(訳)

出版社:

思潮社

書評:

 

  発表と同時にニューヨークで大ブレークした詩篇「吠える」「カディッシュ」だが、その圧倒的な存在感は、50〜70年代の血の気の多い詩の書き手をしてエピゴーネンたらしめた。しかし、というよりは寧ろ当然のことながら、彼ら泡沫詩人たちは、良くも悪くも<ビート世代><ヒッピー族>という流行語に要約されて忘れ去られる運命でしかなかった。後世に名を残すのは、アバンギャルドと呼ばれながらも、少しく古典の風格を感じさす場合に限られており、それはまさしく歴史上傑出した人物にのみ許された特権である。アレン・ギンズバーグは間違いもなくそのひとり。

 <スキャンダルか芸術か>の二項対立は法律上の問題に過ぎず、天才にとっては愚問というべきだろう。スキャンダルだからこそ芸術なのかも知れない。多くの人の場合は習慣が神なのであり、銭湯では裸になるが、わざわざ街へ飛び出すために誰もそうしようとは思わない。そもそもの話、私たちの祖先が「エデンの園」を追われるまでは、林檎もイチジクの葉も大した違いはなかった。楽園に城壁を張り巡らしたものこそ原罪だろうから、天才の創意による陵辱とは、そんな筋違いのエピソードが一笑に伏されることでもある。彼はひとりエデン以前の世界に雄飛して、神々と直談判をする。その結果、「詩」は民衆を背後から追い立てるか影のように従えるだろう。天才だけがレアリティを持つのだ。

 アレン・ギンズバーグの印度体験は徹頭徹尾、西欧文明の袋小路に立たされた知識人のそれであった。キリスト以外には誰も他人の運命を率先して引き受ける者などいないだろうから、根っからの性悪か生まれ着いての善人でもない限り、隣人愛が狂気の幕間劇でしかないことはわかっている。神々か、さもなければ麻薬がそのことを忘れさせて呉れるに違いない。嘆きの壁が内側から厚くなることなどありえないことだし、些か、ドグマチックな逆説めいて聞こえるかも知れないが、屈折した異教徒の祈りは詩によって中和させられるだろう。だが、近代的な自我の戦いは、既にランボーに見られるとおりの途轍もない惨劇となった。だが、表現の荒々しさをそのまま内面の真実と思い違えるのはよそう。異郷の琴が奏でる複雑な音色は、その淵源を訪ねるなら、やさしさと勇気に帰着する筈である。「吠える」が荒涼たる大都会の片隅で犬のように死んでいった無二の友人への挽き歌であり、「カディッシュ」が異国での疎外感に耐え切れず狂死した母を悼む鎮魂歌であったことを思えば足りる。彼にとって生きることは出来るだけ緩慢に死ぬこと、−ヒンズー教徒の人生哲学がそうであったように。


 

 

 

 


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