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日付:

2004.8.27

タイトル:

アルジャーノンに花束を

著者:
ダニエル・キース
出版社:
早川書房
書評:

  いきなり頂上を極めた者には下山の道しか残らない。文豪アシモフのお墨付きで古典作家にのしあがり、生きながら伝説の人となったキースである。この些か出来過ぎたデビューにはさすがに戸惑いもあったらしい。晩年の労作に到るまでしこりを残すこととなる。代表作が処女作というのも或る意味では辛いことだ。これが夭折の天才であれば、雲間に見え隠れする山頂の残雪よろしく絵にもなろう。しかし押しなべて存在感というものは山裾の土塊ひとつにも意味を持たせてしまう。こうしてみると物書きの誠実さも愚直とさえ思う。が、概して美点とはそういうものだ。だから、後年の語り草となった「アルジャーノン秘話」を軽く見るのはよそう。

  「アルジャーノン」には不思議な語感がある。思わず襟を正したくなる名前だが、実験台の二十日鼠に付けられた愛称である。英国浪漫派の詩人・スウィンバーンのファーストネームと知って二度びっくり。如何にも海軍下士官好みのアメリカ式のこのジョーク、チャーリーも位負けして腰を抜かすだろう。−万事がこんな風だとすればキースは愉快なレトリシアンで奇想天外なパロディストでもあるらしい。随所にみられる技法上の配慮はいやでもこの本の品格を高めずにはいない。ちなみに「−に花束を」で締めくくられるフレーズだが、読み終わると同時に物語に相応しい余韻となり、膝に置かれた本のタイトルとなって眼に飛び込んでくる。キースならではのトリックといえよう。かくして全篇が生物の死を悼む美しい詩であることも思い知らされるのだ。構想十年の思い入れは唯、凄いの一語に尽きる。

 「やれやれ、チヤーリー!仕様がないわね。」お茶の間で皿や花瓶を引っくり返す腕白小僧、もしかしたら野良猫の呼び名かも知れない。敢えて卑近な場所に眼をやり、それを其の侭自分の作品の中に持ち込む。直接にはスタインベックの家出少年がモデルのようだが、こんなあぶれ者ならスラム街を10メートルと歩かない裡に何度も出くわすだろう。この本ではIQが70に満たない32歳の青年、施設に寝泊りしながらパン屋に通う精神遅滞者として登場する。そういえばこの小説自体、同じ作者の「二十日鼠と人間」から想を得ている。お人好しの大男の人物像をダブラせることでストーリーにも厚みが出ること請け合いだ。さて、ひょんなことからこの人物、脳外科手術を受けることになるが、二十日鼠で既に実験済みの知能増大プログラムが学会の面子を賭けて埋め込まれるという設定だ。創作に当たって、取り敢えずタブラ・ラサ(白紙)だが、天才の域に達するまでのスリリングな脳内進化の様相が感動的な主人公の手記を通して伝わってくる。

  扱い方によってはサイコ・ホラーに陥り兼ねない「生体実験」というテーマも、持ち前の感性と、クライアントの経験と専門知識を駆使した精神分析的手法により、見事に純文学のフイールドに昇華された。一方、科学万能主義の盲点が作者のヒューマンな視点から捉え直され、出来上がった作品は単なる科学小説ではない「小説という科学」となった。彼が先哲と仰いだヴェルヌスティブンソンと隔世の感があるのはその為である。

 誰もが共感を持って体験出来るチャーリーの世界、実は優生学にかまけて猫も杓子も毛並みの良さを競い合う20世紀中葉の欧米社会の縮図でもあった。

 人工的な脳内進化のワンサイクルを終了して死の水先案内役となったアルジャーノンだが、これを知った主人公は怯むことなく最後の力を振り絞って論文を作成する。「チヤーリー・アルジャーノン効果」は封を切られた黙示録、ー天才の数学的証明である。しかし、今更それを白日の下に曝け出した処で、一滴の涙にも値しないだろう。紛い物といえどもやはり神の手の中にある。−進化の度合いに応じて退化するものとして。

 わたしわにんげんなのです。世間的には取るに足らない落伍者の内面に分け入り、細心の注意を払って聞き取ることの出来たこの声こそ作者の中に閉じ込められていた良心の叫びでもあった。キース自身、科学による実際の天才効果を専門家の裏付けを取った上で30年後と見ていたようだが、その詮索は余り意味がなさそうだ。学会の常識にしろ大義名分にしろ餌に群がる蟻と同じで隙間さえあれば何処からでも潜りこむ。

 「チヤーリーは私です。」−こう断言する作者の度量によって始めて、現実の問題となった私達の明日も見えて来る。

 

 

 


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