ラ・フォンテーヌかなにかに「蛙の王様」という寓話があった。丸太の浮木にしがみつき、飛んだり跳たりはよかったが、やがてそれに飽き、神様に懇願する。もっと、猛々しく光り輝く王様が欲しい、と。その願いは叶えられ、爆風とともに、水面が掻き乱され、蛙は忽ち浚われ、一匹残らず食べ尽くされてしまう。鶴の王様は見立て通りの貴公子であった。ひとりでは「そんなバカな」と思うことも多勢に無勢となれば別。何とも身につまされる話ではないか。結局、揃って独裁者の手足の爪を磨かされることとなる。
進んで釜茹でになるのもどうかと思うが、議会制民主主義は身分相応なのだ。そんな懲りない面々に匙を投げ、いと高き者がテーブルに着く気配はない。
凡百の思考を束ねても壁の根に捨てられるだけ。花の見ごろは出来心。パッ!は散るのか咲くのか決めかねている。無限の歯車が噛み合って動力となるには、それを繋ぐバーが幾つあっても足りない。さあ、どうする?発想の転換は出来ただろうか?
当面は「バカの壁」を各々が自前で撥ね飛ばさなければならない。憤懣やるかたないツアラトゥストラとは言わないまでも、このメディカル・サポート、切り立つ岸壁で足場がぐらつく。続「バカの壁」も読むことで<ダブル・バインド>に罹らなければ君は本物。う〜む−養老先生も人が悪い!
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