ユダヤ人=ユダヤ教は、聖書の民として、人類の脳裏に深く刻まれた歴史的な刻印である。これが日本人=日本教なら、敗戦の焼け跡に肩を窄める表裏一体の薄っぺらな日の丸でしかない。では、未だに中東の火薬庫と言われながらイスラエルの聖地に戦乱があとを絶たないのは何故なのか。
その昔、王権神授説のキリスト教的解釈で世界支配を目論んだローマだが、エデンを存在原義とするカバラ主義者で、モーゼ五書とタルムードが生活信条のユダヤ人とは宿敵同志であった。しかも被征服民でありながら、ユダヤ人の選民意識は圧制に屈しようとはしなかった。完璧な実証主義者であるラビは、福音書の記述上の誤りを文献考証学的に逐一指摘して自説を譲らない。
本書の戯曲の題材となった「バルセロナ論争(1263年)」は、歴史的に最も名高い宗教論争である。反ユダヤ主義者で護教的な強権派のドミニコ僧が一網打尽の改宗案に点火した奇策である。勿論、百戦錬磨の対戦相手がこのことを知らないわけはない。公正さを欠いた力関係の中で、勝敗は二の次、思弁的なジェノサイドであることに変わりはない。民族の存亡を賭けたラビの言動は厳密な聖書解釈もさることながら、人間的に崇高な理念で論争の場を包み込む。
「キリストの福音が世界支配に手を差し
伸べ始めたのよ」と王妃。
「権勢欲の権化のような女だな。わしはな、
イエスの生まれる前の王であればよかっ
たとつくづく思うよ。」
異体同心の王座ですら、ボタンの掛け違いをどうすることも出来ない。勝敗は物別れのまま、善戦した高徳の士、モーゼス・ベン・ナフマンに、ハイメ国王は主催者側の威信にかけて褒章を与えている。のちの教会宣言・ノストラ・エターテに至るまでの、ユダヤ民族の長い歴史的屈辱は、この論争の中身に既に予見し得るものであった。
深遠な宗教教義は一先ず置くとして、国王の最高のブレーンであるユダヤ人宰相の進言は、今日的状況下においても、極めて有効である。
ハイメ国王 :公正な戦いがキリスト教の
徳ではないというのか?
ライムンド・ド・ペナフォルテ :条件つきでは
徳とはいえますが、絶対的な概念として
は、異教のものです。
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