「モダン・ゴルフ」と言えばビギナーからアベレージ・ゴルファーまで、クラブを手にした者なら、必ずや一度は眼を通したことのあるスイング理論書、なかんずく後者にとっては新大陸発見に狂喜奔走したピューリタンのバイブルのような役割を果たす。本書により日夜研鑽を重ねてプロ入りした若いゴルファーも多いことだろう。他のスポーツに較べてゴルフは参加型の競技として娯楽性もあり、ステッキや傘を持つ握力さえあれば誰でも親しむことが出来る。そのくせ奥が深い世界である。本書が古典的名著であり続ける理由の一つがそこにある。眼の前で父親のピストル自殺を目撃した少年ホーガンのトラウマの深さは測り知れない。後年、キャディ業務の傍ら、日が沈むまでたとえ何千発のゴルフボールを打ち続けたとしても、肉親を奪った一発の銃弾の恐ろしさは忘れることが出来なかったに違いない。快心のアルバトロスで逆転優勝したあの日、グリーン上で持ち前の厳しい表情が和らいだのは、その一打こそグランドスラム達成の興奮にもまして、長年の悪夢を払拭した悦ばしい瞬間だったからであろう。そこには並みの選手であれば命取りとなりかねない交通事故による後遺症に打ち克った超人の姿があった。視力障害のハンディに関しては「パッティングは別のゲーム」と練習スキルに記されている通り、苦心のあとがみられる。
ジョン・アンドリザーニ、余り聞きなれない名だが、米国「ゴルフ・マガジン」社に所属して、数々の著書を世に出したスポーツ・ジャーナリストで優勝経験もあるトップアマチュア・ゴルファーである。本書は「ホーガンの知らないホーガン」と言う、まことに意表を突いた観点に立ち、だからこそ却って正論たり得たかも知れないベン・ホーガン論である。己自身の姿は鏡の中の虚像とマスル・メモリーを介してしか知ることが出来ない。完璧を期して自己の全体像を把握するには他者の眼によるフォローが必要となる。だが、百戦錬磨のこの闘将にとって、観衆サービスとは、華やかなアーノルド・パーマーのショーマン・シップとは違い、良いプレーに集中することであり、彼はあくまでもこの原則を貫いた。言葉の正しい意味での成果主義は、現役引退後、二流ではあるが実業家に徹したベン・ホーガンとパーマー・ブランドで一世を風靡したファッション・リーダーの違いとなって現われた。ともあれ、新大陸の版図を塗り替えたバイブルのように、ホーガンの残した奥義書一冊はグリーンの攻略になくてはならない。手元のほんの数ミリのグリップのズレが打球に伝わり、はるか300ヤードの落下地点を誤らせるように、嘘偽りがあるとき武人の剣が気違いの刃物でしかないように、「モダン・ゴルフ」をいささかも読み違えないための副読本として、又、ゴルフの伝道書として、クラブの進化に伴いゴルフの真髄が忘れられようとしている今日、本書の持つ意味は大きい。
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