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日付:

2006/02/26

タイトル:
ダンディの神話
著者:

E.カラシュス (山田登世子 訳)

出版社:

海 出版社

書評:
 

 ダンディは自己申告制である。面倒な大衆操作とは無縁だし、如何わしい権威におもねる必要もない。出自に纏わるアナーキーなふるえ以外は殆どなにも身に着けず、バッチや勲章はもってのほか、ひたすら毒にも薬にもならないネクタイの結び目に腐心する。
 
 「生活?そんなものは召使に任せておけばよい」−今でこそダンディズムの定冠詞となりボードレールと並び称せられるリラダンだが、彼には生来の気質に加えて、のっぴきならぬ夢物語があった。本書の著者・カラシュスは、赤貧洗うが如き高潔の士をひとまず棚上げして、その周辺を迂回する。はなもちならぬ王侯貴族から陽気にはしゃぎまわるボヘミアンまで、多士済々のエピソードの花を摘みながら、しかも抜け目なく品定めをし、これぞダンディと真打を仕留める。−そんな芸当をやってのけた。

 ダンディをまともに論じた書物は少ない。−エッ?韜晦癖をトコトン解読した?それはそれはどうもお生憎様。私の癖なら三歳の女の子だって見抜くのですぞ。いやはや、なんとも身もふたもない話だ。ダンディは論より証拠、しかも充分に論ずるだけのことはある。と、まあ、そんな二律背反を承知の上で、胸を大きくひらき、糊の効いたワイシャツに腕を通すや、蝶ネクタイなんぞを弄ぶ。本書が世に出た少なからぬ因縁と言えばそれだけだ。カラシュスは、抛って置けば歴史の屑籠にいつでも掃き棄てられそうなことを、コンコルド広場の中心に据えた。あに図らんや、これぞ社会的な功罪に就いての最初の模範解答なのだから、してやったりである。著者自身、一廉のダンディと呼ばれてしかるべきであろう。ダンディは怒りを骨とし笑いを肉とする。地獄を生き延びたパスカルの末裔でもあろうか。

 本場はイギリス仕込みの、おフランスなダンディ。彼が才筆を欲しいままにした二都間往来の慌しい消息は、今をときめくモード界の「仏英混合語」に生きている。当時、この<舶来品>には挙国一致の大義名分などさらさらなかった。ロンドンからパリへ、バイロン卿からドルセー伯へ、洒落者ブランメルから文人バルベー・ドールヴィリィヘと、もう充分過ぎるくらい慎重に、雲の如く伝えられた。

 無の苦役に疲れ知らざる男やもめの口上や如何?彼等は臆面もなく言ったものである、「ヴァリエテ座を一歩出るやインド」と。−この「社会的疎外に対抗するための特製の私生活」が「失業中の冒険家たち」の「美しき人生(ドルチェ・ヴィタ)」足りえたかどうか。一場の夢からの帰還が、オデッセーのあの見晴らしのよい海に出るのか。稿を結ぶにあたって再び著者は頚をかしげざるを得ない。「恋情は猿の仕事」などと一笑にふされては取り付く島もないではないか。ポッと出の田舎者の人生を狂わせてしまったスノッブの霧の晴れ間に、一瞬垣間みた稲妻。ともあれ、このダンディズム、それ自身に備わることのない世間知の一切を凌駕して一件落着。何が面白くてダンディなのかは、ふんだんに本書に鏤められたエキセントリックなセリフの中に読み取るしかない。   
 

 

 

 


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