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日付:

2005/09/11

タイトル:
脱力の人
著者:
正津 勉
出版社:
河出書房新社
書評:

 

 ご存知無頼派の詩人・正津 勉による久々のエッセー。脱力というユニークな視点にこの人らしい世界観がある。ひとは構えを捨てたときこそ真実の姿を現す。Let it be... 弱いものは弱いままに。だが、脱力は資質を問われる。一面、鼻白む思いがするのもそのためだ。脱力にはナイーブな感性ばかりではなく勇気も必要とするのではないか。ポテンシャル・ゼロの放心状態ではないのだ。

  あおじろい水をくむ

  そのかおは岩石のようだ

  かれの背になだれているもの

  死刑場の雪の美しさ

  ひとすじの苦しい光のように

  同志毛は立っている

           谷川 雁「毛沢東」

  生来が薄志弱行の人だから、全学連シンパで御三家のひとり、谷川 雁との最初の出会いは不幸であった。頂点にして原点のこの神様の膝元からいきなり脱落して、糸の切れた操り人形のように無為徒労の人となる。そんな自分を笑い飛ばすことから与太話は始まっている。 

 へぼな生活人の複雑な触手を動かして、自ら範とする先輩諸兄を引き寄せる。そんな中で「世にも恥ずかしい微笑をした」奇人との出会いには運命的なものがあった。当時まだそれ程知られていない詩人・天野 忠だが、たまたま手にした詩集一冊に「はんなり」と「いけず」の絶妙に相和した京言葉を発見して狂喜する。これぞ仙薬と自家中毒気味の嵌りよう。酒仲間の誰彼となく、負の勲章を褒めちぎり、河岸を変えてはまた褒めちぎる。我が世の春はこの一点に定まった感がある。まるで水を得た魚のようだ。そういえば脱力とは水に浮かぶ方法でもあった。

 批評とは他人をダシにして自分を語ることだ、と小林秀雄が居直って以来、曲者があとを絶たない。だが、高座をおりた義理人情にも厚いこの人、朋友の懐で自分の来歴をひたすら正直に温めている。忘れがたい交遊の礎には必ず天野大明神と刻まれていた筈である。ちなみに彼の「りんご」の詩を採りあげて、

  黒ん坊のウイルメイズの

  台所に

  ほんのちょっぴり 陽がさす

  りんごが一つ

  頭の腐りかかった奴なんだが

  あいにく そこに

  陽の舌がじゃれつく

  りんごが怒鳴った

  −どいてくれ 痒くてたまらんよ

    そこんところが

  −辛抱おしよ

  陽の舌が云った

  −好きでしてるんじゃなし・・・.

 上手い。舌を巻く。手練だ。ともう、手放しの褒めようである。もしかしたら、この感激家は並外れた精進の人ではないのか。その証拠に彼は伝説の俳人・鈴木しづ子の身も世もない追っかけであった。わざわざ一章を割いたリポートもあり、これが中々の圧巻なのだ。

 本書は脱力の指南書として最適である。だが間違っても解脱の書ではない。

  

 

 

 


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