緑の導火線を通して花を駆りたてる力は
ぼくの緑の年齢(とし)を駆りたてる。木の根を吹き飛ばす力は
ぼくを破壊するものだ。
だが ぼくは唖で ねじけた薔薇に告げられないのだ、
ぼくの青春も同じ冬の熱病に捻じまげられていると。
冒頭一行が世界に激震を走らせたことで知られる、初出「十八篇の詩」中、五番目の詩である。この病める花の熱を帯びた異常な力は作者を前面に押し出す。この世の不条理にどっぷり浸かり、発狂寸前の彼に「詩」は天使の翼を与えた。しかし、恩寵の天使でないことは、後年の彼の述懐を待つまでもない。どの詩も発狂に相応しい畸形の夾雑物に塗れている。我国では評価の定まらないトマスだが、ロマン派の残党にみごとな殺人パンチを喰らったと語る訳者渾身の名訳。このロマンティシズムの新しい炎は紛れもなく現代の黙示録でもある。
マーロン・ブランド扮する「ならず者」よろしく、どこから見てもバイオレンス・ドラマの主人公然としているが、大きく開けた瞳と全身脱力の不貞腐れたポーズは繊細で多感な雰囲気を漂わせている。案の定、既存の秩序に馴染まず、苦悶の末、入退院を繰り返すことになるのだが、詩と劇薬で脳髄を蝕まれ自己破壊に到る39歳の生涯は、デビュー当時、既に彼の掌に書き込まれていたことだ。
天使にも獣にもなれない人間の実存的不安を抱えたリルケは、絶望の底から這い上がる。天使と獣と狂人が雑居するトマスの場合は、これとは逆に、忘却と言う最終的な快楽に向けてひた走る。このように近代的自我の確立と解体の悲劇は、忍び寄る全体主義の影に脅かされながら、様々な内的宇宙を垣間見せるのだが、社会派詩人と反りの合わない一匹狼の中で、最もラジカルなトマスの詩法は生命の完全燃焼を目差したものである。
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