元祖・ドラキュラと言えばブラム・ストーカー。フランケンシュタインのシェリー夫人と共に、今やホラー界に君臨する二大源流となった。そもそも文学の醍醐味なるもの、ジャンルとはおよそ無関係である。面白いものは面白いのだ。スタイルが酷似しているだけではない、この作品の中身は純文学の傑作「白鯨」に勝るとも劣らない魅力を備えている。
海そのものの魔性を神話化し、異教徒の祈りが主調底音となった海洋物語「白鯨」。民間伝承を下敷きにして、没落貴族の大衆へのレジスタンスを表現した怪奇小説「ドラキュラ」。どちらもデータの綿密な積み重ねで構成されたフイクションであり、天才的な閃きがあったわけではない。にも拘らず感動の質が、時代の試練を経た今日、依然として色褪せることがないのは、古典としての風格が充分だからであろう。
一級の出来栄えとは言い難いが、それぞれ映画化されて広く人口に膾炙している。ただ、「白鯨」のキャラクターがスクリーン上ではいまいちなのに比べて、「ドラキュラ」には文句なしのはまり役として、ベラ・ルゴシ、クリストファー・リー等の名優がいる。美術効果の決定版は何といっても「ロマン・ポランスキーの吸血鬼(邦題)」であろう。この作品はコメディタッチの盛り付けさえ気にしなければ傑作の部類だが、何といっても、あの山峡の独特な青の色合いや、雪明りのひんやりとしたデリケートな空気の感触やらは、ホラー風景を満喫させずにはいない。一番新しいところではコッポラ監督の話題作がある。こちらは些かサービス過剰気味で、バーチャルな気分に誘われるものの、ゴテゴテとした作り過ぎの感があり、ややもすると辟易とさせられる。映画技術の進歩により演出効果は一頃を凌ぐかも知れない。しかし、科学万能を脅かすことで存在する世界である。こうして多くの奇才が技を競わせるのを見るにつけ、ホラーの視覚化は降霊術以上に難しいのではなかろうか、と思ってしまう。
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