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日付:

2006/09/24

タイトル:
エルサレムの詩 イェフダ・アミハイ詩集
著者:

イェフダ・アミハイ (村田靖子:編訳)

出版社:

思潮社

書評:

 

 挨拶ひとつにもお国柄がある。「こんにちは」と「シャローム」は、どちらも慣習化したコミュニケーション・タームだが、その中身は異なる。 かたや緑地、かたや砂漠の民とあっては、それも無理のない話である。


  「シャローム」はヘブライ語で「平安あれ」の意、イスラエル人は、この言葉に祈願を籠めて、肩越しに肯き合う。「よいお天気」にも、「あの世の壁」が取り崩されない限り、お目にかかれない、そんな物騒な国である。間違っても HAVE A NICE-DAY 等と、手を振り合えない。自然の恵みに感謝の気持さえ忘れなければよい国と、神への信仰を日々の糧として、辛うじて生き永らえる国とでは、語義解釈にもこんな違いが出てしまうのだ。

 イェフダ・アミハイ。始めて聞く名だが、すっかり、彼の詩の魔力にとり憑かれてしまった。それも単なるカルチャーショックではない、より根源的な何かだ。ヘブライ語の翻訳作業は、スリリングな謎解きゲームのようだ、と訳者は言う。固く握り締めた拳から、一本づつ、指を開いていくような、奇妙な言語感覚に襲われるらしい。どの国の言葉に移し変えても事情は同じ、原詩の2倍、3倍の長さになってしまう。訳者は中国語で読んだことがきっかけで、日本語訳を思い立った。    

 息子は敬虔なユダヤ教徒だが、詩人はさしずめ不肖の父。昔なら破門の憂き目に遭うところだが、いまや、押しも捺されもせぬ国民的桂冠詩人。魂のオブラートに包まれた思想はあたり口も柔らかで、誰の心にも馴染みやすい。アミハイは一民族の宿命をグローバルな視点で捉え直し、人間の本性に深く根を下ろすことで、神なき時代の殉教者となった。

  十月の太陽が ぼくたちの顔を

   温める。

  兵士が袋にやわらかい砂を詰める。

  昔 砂遊びをした その砂を。

  十月の太陽が ぼくたちの死者たち

   を温める。

  悲しみは重い木の板

   涙が釘。

 ここには聖地エルサレムの悲しみに閉ざされた顔があり、空しい苦役に疲れ果てた手足がある。しかも、自分たちが正しいと信じていた場所には永久に花が咲くことがない。正義は寧ろ狂気となって、人々を混乱に陥れる。もし、ほんの少しでも疑うやさしさがあれば、滋味溢れる世界が掘り起こされる筈なのだ。

 イスラエル建国後は何かよくわからぬ争いごとが続く。土埃と硝煙の匂いに包まれたエルサレムは眠りを貪るばかり。詩人は万感の思いを胸に、悲痛かつ皮肉に歌いあげなければならなかった。

  エルサレム 死者にも投票権があた

   えられる

  世界でたったひとつの都市。

 そして、「ベッドの上の死」を望む詩人の部屋には、内側から二重の鍵が掛けられる。

  ぼくの心のなかに平和がないから

  外には戦争。

  ぼくの内なる戦争を 心のなかにとどめて

   おけなかった。 

 生涯をエルサレムで過ごし、2000年の秋に他界。76歳。 
 

 

 

 


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