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日付:

 

2008/3/2

タイトル:
福田和也と<魔の思想>
著者:

中川八洋

出版社:

清流出版

書評:

 

  誰かが「東京砂漠〜」を歌っている。
 「それって何処なのよ」と隣の彼女。
 「メタファーだから場所じゃないのさ」と僕。
 そう言いながらも<パブロフの犬>のように奇妙な既視感に襲われ、殺伐とした心の風景にカウンターごと抱きとられ、その晩はそのまま酔い潰れてしまったらしい。

 著者が教鞭を執る筑波大学の教室の鼻先に、或る日、異様なパフォーマンスが仕組まれた。広大な敷地に無機質の機材をばら撒き、ビニールシートで覆うだけ。そのまま放置すればワインのように発酵するのかしないのか? <無>を隠すことでことさら圧迫感が加わる存在の演出、自信作なのだそうだ。制作者は建築家の磯崎新。今では「ナルシスの美しい墓」と賛美する人もあるらしい。どうにも我慢がならないと著者は言う。当然だろう。

 「東京砂漠」と聞いただけで観光スポットが灰になる。それはそれで仕方がない。しかし、最初からポスト・モダンの信奉者にしてみればハイパーレアリズムの残像でしかない。一目瞭然じゃないか、等と睨まれでもしたら、これはもう立派な恫喝である。人間性の一欠けらも感じさせない勿体ぶった思考実験。何が<廃墟の設計>なものか、そんなものは文法破壊の碌でもない戯事に決まっている。これぞ亡国の元凶と、怒りも新たにメスを奮い、自称文化人の病巣に著者は分け入るのだが、案の定、<脱・構築>の恐るべき背理を体感してただ茫然となる。

 保田與重郎と言えば「テロル型文藝」の開祖、フーコーやドゥルーズよりも30年以上も早く論壇に悪名を馳せた。この古典の隠れ蓑を着た伝統破壊者は、尊大な亡国の先覚者でもある。著者は怨敵退治の足固めに、「お尋ね者」の名を連ね、博覧強記の処方箋と目も醒めんばかりの毒抜きで世直しを試みる。終末論を叩き込まれた戦後世代には願ってもない月光仮面だ。時代がどうあれ、アナーキズムがニヒリストの政治的立場であることに変わりはない。アナーキスト亜種がごまんとある中からもう一人、稀代の論客・福田和也の頚をムンズと掴み、幸徳秋水や大杉栄のとんでもない一変種として渇を入れる。

 「死とは他人に成り済ますこと」−サルトルの名高い定義に従えば、人は皆人生と言う爆弾を抱えて生れ落ちたことになる。真正のヒューマニストならテロルで清算する筈だ。その時、究極の自我の裂け目から「無原罪の祈り」が立ち昇る。−この怖さ、換骨奪胎の常習犯・ポスト・モダンの淵源はこの実存主義にあった。「近代の超克」等と俄仕込みの理論武装でお茶を濁すわけにはゆくまい。巧みにカムフラージュされた最も毒性の強い左翼思想だからこそ右寄りなのだ。綺麗に皮を剥かれた林檎も、芯が腐っていては身の置き場がない。

 デビュー当時の不吉な予感は、かれこれ10年の歳月を経て、漸く福田ワンダーランドの学問的な裏付けを得た。さて、新銘柄<ヒトラーの再来>の酔い心地は如何なものか?




 

 

 


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