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日付:

2005/10/18

タイトル:
舟歌
著者:
平林敏彦
出版社:
思潮社
書評:

 

 なによりも先ず音楽を、・・タクトの一振りで奇数脚の朦朧体に、不思議な音楽が駆け巡る。詩はメロディを欠くから、色彩のない絵画でもある。影のゆらめきはこころなしかリュートの音色を彷彿とさせる。ヴェルレーヌの言葉は生き生きとしている。

 「舟歌」は友情の記念碑、ショパンの同題のピアノ曲に促がされて構想された詩群は、なつかしいホールでの演奏が背景にあると言う。ほんとうだろうか?水を差すようで申し訳ないが、もし、そうだとしたら羨ましい限りだ。当事者間のエピソードが前面に出るようなら文句なしに一流である。それを臆面もなく言い切るところは、何とも白々しい。胡散臭い貴族趣味ほど、腹の立つものはない。後書きを読んで褒め言葉も何処かへ消えてしまった。

 単純な生き方にあこがれながら/いまだにひりひり脳のどこかで絵空事を追いかけて/それでもおまえの爪先から舞い立った蝶は/海をわたって彼岸へつくだろうか

 いかにも歯切れの悪い帯文である。時代が一跨ぎした途端、糸瓜のように萎びたレトリックとわかる代物だ。投げやりな感性がモチーフを誘うだけでは文体をなさない。平明で難解、もっともらしい語り口、ありきたりの語法と三拍子揃ったところで、取り立てて言うことはない。が、一体、この詩の何処にショパンの舟歌を聞けばいいのか?気の利いたコラージュどころか、その片鱗さえない。わが舟歌として、俄仕立ての花籠は、波間にひとり浮かび沈むだけだ。

 ある程度のレベルでよく問題にされることだが、この種のわからなさは、現代詩の病弊でもある。それらしく振舞えば、安堵感を保てる余興の席のようなものだ。ほんの少し聞し召しただけでもこの無節操振りである。詩はあくまでも意識の世界の出来事。無意識に未知の光を当てることで新しい意識の世界を創造する。無意識がそのまま未知というわけではない。ここに気鋭の才が身を亡ぼす陥窄があった。

 高尚な矜持はいらない、もう一度、ショパンを湿らせて欲しかった。

 

 

 


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