学問の初心に還るなら、肩の力を抜いた自然体がよい。無防備と言うなかれ、瞬発力が全方位になることだから・・・。福沢諭吉が本書でいう学問は「洋学」のこと。先進文明の圧倒的なパワーに茫然自失とならないよう、又、やみくもに欧化の趨勢に呑み込まれぬよう、学問の心構えに就いて懇切丁寧に述べている。元々、故郷の学舎でマンツーマン式の学習指導書として書かれたものだが、広く世に問う為に出版され、当時としては未曾有の50万部のベストセラーとなった。この程、装いも新たにお目見えしたのは、ボン・ジャポネのエクササイズの一貫として企画された、今をときめく斉藤孝先生の名訳本である。文語体の格調を些かも損なわずに、まるで刀剣の錆を落とすように原文の味わいを伝えている。活字離れの若者たちにとってはまさに恰好のリップサービス。
今は遠い文明開化の足音がこんなに胸躍らせるのも驚きだ。本の中身たるやそのまま100年後の私たちの世界ではないか。しかし、だからと言ってこの優れた啓蒙書が何の役にも立たなかったということにはならない。当時のレベルでは既に解決済みの事柄と、時代を超えた問題提起が重ねあわされていたのだ。どんな時代だろうと、今日的なテーマとして息吹き返すのが古典的名著である。ヴィクトリア王朝時代の「品性」がいつでもスマイルズの手鏡に写し出されるように。
独立の気概に欠ければ親方日の丸、寄らば大樹の陰の大国依存、まさしく敗戦前後の我国の世相そのものではないか。無知と怠惰が愚民化政策の構造腐敗を生む。小さな政府に見合わぬ横並びの依存性。これらの問題が、さらに輪をかけて深刻になったのが、今日の私たちの現実の姿である。徒に難解で、何の為の啓蒙書か、と疑わしくなる類本の多い中で、当時も今もこれに比肩しうるものはない。机上の空論や役立たずのハイカラ趣味は国益に反する。事業の基本である<読み書き算盤>を踏まえたハウツウ本のルーツがここにある。
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