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日付:

2012/10/24

タイトル:
現代思想としての日蓮
著者:

松岡幹夫 

出版社:

長崎出版

書評:

 

 デリダの脱構築理論を下敷きにした精緻な理論展開のように思われたのだが、なんのことはない脂汗でのっぺりした池田大作の掌にあっさり納まってしまった。というか、そっくりあぶれてしまった。包摂、排斥、矛盾統合、言葉尻はいかようにもなる。駄目もとの辻褄あわせだろうからヴァルールも糸瓜もあったものじゃない。ハレーションがメソッドのわけのわからぬタブローと相成った。よいしょされてどっこいしょとお出まし、横綱土俵入りの太刀持ちではあるまいし、これが世に言う子飼い学徒の悲しさか。そもそも論理構造が洋の東西では異なる。縦横無尽に思考を束ねた積りでも文脈にブレが生じてしまい、二軸構造の独楽まわしのようでさまにならない。もともと仏法は第六感で風通しがよくなる命題ばかりだから弁証法には馴染まない。それにしても手の混んだ著者の偽装工作はお見事というしかないが、それとは正反対のレトリックを駆使した萩原朔太郎の詩「国定忠治」が<親分!>でピリオドをうたれていたのをふと思い出し笑い転げてしまった。

 池田大作にはどうやら国境というものはないらしい。その精力的なまでの蛸配線癖で心の隙間を虱潰しにするいけ好かない独裁者は平和イコールパッチワークの勲章くらいに高を括る積りなのだろう。何かにつけ矢鱈に自画自賛して至極ご満悦の態である。本気すぎて笑える<地球一家>のドンなのだが、煌びやかなデージンらに囲まれた国際交流の場でイデオロギー如何を問われた時の応えが奮っている。「根底において人間主義」はなんとも可笑しい。これでは天動説か地動説かの問いに「地球は宇宙の一部」と応えたようなものでお里が知れてしまうではないか。ことは「論理ではなく倫理」との問題提起ならまだしも、この恐るべき単細胞の持ち主は大同小異、即ち「理窟ぬきにやりましょうや」が根底にあるから、今ひとつ落ち着きにかけるのだろう。空気の読めない社交好きには困ったものである。

  とんがらがっちゃ嫌よ。確か戦後間もなく、そんな歌が流行ったように思う。著者にはその語感にぴったりの迷著がほかにもある。論点回避の早業が腕のみせどころの御用哲学「日蓮正宗の神話」がそれだが、これでどうだと言わんばかりの牽強付会には鬼気迫るものがある。引っ込みのつかなくなった大先生のガッツ・ポーズの儀腕杖、(そんなものがあっての話だが)坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、何度読み直してみても、唯それだけのことじゃないか。仏法僧の鳴き声が届かない聖山なんて見たことも聞いたこともない。今後も活躍するにあたっては脱本山妄想のカタルシスが必須。逸脱から解脱への第一歩が学問的自覚であることは申し上げるまでもあるまい。蛇足ながら付け加えさせて頂く。池田御殿の裏帳簿騒動で喚問され、ハーレムの隠し子と公場対決なんて方が根も葉もない箔付けよりも余程奥深く人間的であったのかもしれない。


 

 

 


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