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日付:

 

2008/4/2

タイトル:
月蝕書簡
著者:

寺山修司

出版社:

岩波書店

ト書評:

 

 寺山修司は二度、白鳥の歌を歌う。今回刊行された遺稿集「月蝕書簡」からそんな印象を抱く。没後四半世紀、漸く晩年の未発表作品200余首が日の目をみた。尤も、生前の「全歌集」で歌に別れを告げ、ハイブリットな活躍に転じてからは歌の一欠けらもない。この未練がましさ、何か自分でも良くわからぬ衝動に突き動かされてのことか。この天才歌人の心の内を、寺山ファンならどう読むだろう。破壊的なパフォーマンスで内なる青春を追放した「チェホフ祭」、その落穂拾いでは慙愧に耐えぬ。全誤解を払拭したあとで、さらに輝きを増す本人の遺志、論点先取りであっても差し支えないのだが。

 「われに五月を」の五月こそ、地獄の見者が我に返る時、寺山ワールドのテンションが上がる。種々の季節は創作上のレトリックに過ぎない。それに付けても「言葉が記憶と記録のはざまで死物化するか、文化装置で復元されて歌となるか」は唯、今、この瞬間にしかない。「心」とか「命」とかは、刑務所の中でなら美しいかもしれない。神秘主義者の知識欲ではさまにならない。肝心なのは歌を忘れること、雲の切れ端のような最終一行があればいいではないか。という次第で、散文を破壊した短歌の爆弾は、いまや個と集団の歴史的現在をも粉砕する。50個の麻袋を出たり入ったりする独楽鼠のような「私」なら容赦はすまい。そんなハチャメチャな儀式がアナーキスト・寺山の行動美学、晩年の彼はひたすら消尽することでパワーを溜め込む。短歌のツールが鉛筆と消しゴムであったのも偶然ではない。

 −では作例を幾つか。

 みずうみを撃ちたるあとの猟銃を寝室におき眠る少女は

 木のままで一生終わるほかはなし花ざかりの墓地首吊りの松

 雨期来る上級生の寝室に酔い待ち草の少年ひとり

 とぶ鳥はすべてことばの影となれわれは目つむる萱草に寝て

 鏡台がぎらりと沖に浮きながらまぼろしの姉夜ごと溺死す

 いもうとを妊(はら)ませている夢十夜風に真赤な避雷針かな

 面売りが面つけしまま汽車に乗るかなしき父の上海事変

 父恋し月光の町過ぐるときものみな影となるオートバイ

 わが眠る寝台の果てまぼろしの帆が沈みゆく老年

 葬式におくれし叔父がひとり来て午前零時の玉突きはじむ

 どうであろう、指図名詞も形容句もなしに、かくも生々しいエロティシズム、しかも居ながらにして霊界の住人となる、寺山王国ならではの短歌の作法がここにはある。



 

 

 


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