フォネット詩集? さて、何を血迷ったのだろう、奇妙な造語ではある。ちなみにヨーロッパの伝統的詩形・ソネットは14行で、シェークスピアを筆頭に人口に膾炙した名詩が多い。タイトルを含めた5行が何故、今、フォネットなのか、命名者に聴いてみたところで埒が明くまい。意気込みだけがグーというのでは取り付く島もない。
それにしても本の装丁とパラパラ捲って見た写真が素晴らしかったので買ってしまった。しかし、どう好意的に読んでみても、これらの四行詩ばかりは頂けない。メロディを想定して詞として読み直してみたが駄目だった。要するに論理の破綻が透けて見える荒唐無稽な感情表現は安手の代物なのだ。単なる言葉の断片がハレーションをメソッドとして定型を装っているに過ぎない。何故こうも出鱈目になれるのか、実年齢65歳にしては若すぎる精神に取り敢えずは脱帽するしかない。
深慮を欠くのが行動原理であってみれば、この御仁、もしかしたら実業界では一寸したカリスマかも知れない。ランボーの機先を制する語の乱発は、背後に恐るべき深遠が口を開けていて、命がけの脱出劇だからこそ私達の心を撃つ。空疎と深遠では比較のしょうがないではないか。
詩は、ライト・ヴァースも含めて、アイロニィがなければ薄っぺらな歌の文句で終わる。そこのところを再認識して出直して貰いたいものだ。尊大で独善的なキャラはほんの側面に過ぎず、居直り代表発言は、他の詩人に迷惑というものだろう。
ホー!ネット?ぴんと張られた抒情の糸は切れたようだが、実は短詩大学の校長先生の額縁ピカピカの奇特な訓示であった。これは、これはである。改めて最敬礼!
風がひかり
窓が鳴る
空は青く
秋が通り過ぎていく
風の学校ならぬ「風の季節」に乞う、ご期待ということで、平に無礼の段はご容赦の程を。
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