反日感情を軸に「反論(日本側)」と「反論の反論(中国側)」のやり取りを編集列記して問題点を浮き彫りにし、日中平和外交の在り方を示唆した貴重な小冊子である。ちなみに発行元は日中平和友好条約締結25周年を祈念して創立された出版社で、本書は「隣人新書」の一冊。反日感情を歴史上の固定観念として捉えた場合は戦乱かイデオロギーが原因となり問題の根は深くなるが、「対日嫌悪感」であれば一過性のものとして話し合いで解消出来る。日中条約締結の前後の両国の国情を仔細に分析し、相互理解のための具体案を提示している。戦争に大義があるか否かは兎も角、感情的なしこりを残したままの条約締結とは一体何なのか、平和は偽装装置でしかないのだろうか。そんな疑問を咀嚼しつつ問題の核心に触れる。
事の始末をつけるのは、原因を作った方で巻き込まれた側に責任はない。責任の所在が明らかとなれば、謝罪はあって然るべきである。責任の範囲は事柄の性質による。戦争が正式の名称となれば国際問題であるが、事変と名のつくものなら当事者間の問題となる。侵略行為が国策であれば事変ではなく明らかに戦争であろう。筋論としては自明だが、事実は小説よりも奇なり、これらの解釈を巡って猜疑心が爪を砥ぐばかりで両国とも政治工作に余念がない。洗脳に被れない免疫力をつけるのが平和だとするなら、戦後処理が次の戦争の土台作りでもあるかのような現状の本末転倒ぶりは如何なものか。
勝てば官軍と言われた時代、民意の凍結こそ官僚体制であった。一億一心の夢から醒めた柔軟な思考が民間活力となって始めて国家間の障壁も取り除かれる。両国とも戦後の経済成長には眼を見張るものがある。だが、金の力に頼るだけではいつバターが大砲に変身しても可笑しくはない。「点滴石を穿つ」の喩もある、地味だが辛抱強い本書の試みに期待したい。
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