<微笑ましいおぞましさ>−対概念の単なる誤用か、形容矛盾でしかない成句だが、この小説に関してはぴったりの評言である。仄めかすが明示はしない、女性特有の性が裏がえしに炙りだされたようなワン・シーン。実におみごとなパントマイムである。
世の男たちよ、鼻先にこんな寸劇を付きつけられた以上、泣くか笑うかだ。非現実的な男性性の骨抜きを、作者は平然と見据えながら、寧ろ肯定的でさえある。
妻の死が初老の男の舞台。通夜を控えて、生前の夫婦の契りを二人きり(?)で交わそうとする。所謂、死姦−。
死と暴力が一体となったセックス。文明社会は本能をコントロールすることで進化してきた。その体裁を保つことが文化。この小説の主人公は公の儀式と秘儀を秤にかけて後者を選ぶ。納棺と六法全書の間にあるのは一体の仏としての屍である。しかし死は思い出の影であり、生の延長上にある。しかも死んだ妻は夫にとって何にも換えがたい存在だ。この行為の臆面のなさはひとり作者の矜持に懸かっている。おぞましいのは世間の方だ。文明社会というテープを裁ち、ひとひねりして両端を結びあわせるや生と死は如何に?−「来るな、来てはならない。」という声なき声が思いつきを完成させる。
生死の実権が神に属するキリスト教徒たち、彼らは公教要理ばかりではない、自虐的な美とグロテスクの観念すら聖域に引きずり込む。どうやら「半所有」という曖昧な概念、我国古来のアニミズムが手足を生やしただけなのかも知れない。作者が女性だからこそ微笑ましい作品となった。
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