書評とは原作を出来るだけ手短かに演じることである。しかし、ざっと読んだだけでは、第一、足場も不完全だし、折角の背景だってぼやけてしまう。何冊かの手引書に眼を通し、本自体の成立過程や作者の出自に就いても知っていた方が良い。その時代の風物やキャラに馴染めるようなら、もうしめたものだ。
手にした処、瀟洒な本である。本好きの本は五万とあって珍しくもなんともないが、これは超ド級の一冊で中身も濃い。半ば自嘲的だが、この本の著者が「活字中毒」と言うとき、それは血統書つきの家系を意味している。彼女は7000冊を納めた書庫の一番低い棚で積み木遊びをしながら大きくなった。3歳の子供にとって本は少し厚めで御しやすいトランプでしかない。作者自身、或る作家の言葉を借りて、やはり自分も「本に囲まれた深い眠りから目覚めた」ひとりだと言う。
そんな著者の来歴が末尾のインデックスとなった。人名・書名ともに実に厖大な数である。
同じ本でも持ち主によって全く別の顔になるらしい。らしいは、この場合、もどかしい位に共感的な言辞として使わせて頂く。本の面目とはまさにその通りであって、物としての画一論からいとも簡単にはみ出してしまう。
アイスクリーム屋のアイスクリーム嫌いから、銀行員の金離れという答えは出て来ない。だがこのスリリングな俗説、本の世界だと実にユニークな命題が引き出せる。蔵書の一部は元の蔵書以外に納まりようがないのだ。古本屋とは何と寂しい生業であろう。どうせ迷子ばかりなら、いっそ雑然としていて欲しい。
いまや、結婚生活すら主役の座を追われ、本の舞台と化した感がある、見かけは何の変哲もない中流家庭。無類の愛書家が本との出合いから筆を起こし、本が取持つ夫と本に寸法を合わせた家に住み、グラッドストーンのまさかの夢で盛り上がるまで、博覧強記を一揆に開陳して稿を締め括る。事実は小説よりも奇也とはこのことかも知れない。
情報過多でお悩みの方には格好の良薬。この高性能なコパクト・ディスク、崩れ易い本の城の救世主とはならないだろうか。
|