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日付:

2012/11/21

タイトル:
異常の構造
著者:

木村敏 

出版社:

講談社

書評:

 

 ひょうきんだが意地悪な母親と真面目だが気の利かない父親との間に生まれた子供は概ね正しい。ということは決して道を踏み外すことはない。本書の着眼点は<男性原理>に反する社会は精神病の温床となる、というアプリオリな男女の「サーガ」であって、サンプリングされたのは何れも身近な崩壊家族のフォークロアである。健康VS病気、正常VS異常という単なる対概念の図式に納まるような話の中身ではないということ、又、タイトルが「異常の構造」とあるように、そもそも個体としての異常に一切言及していないことに注目しなければならない。余り好ましくない婚姻関係の下に、たまたま感度の高過ぎる子供がいて、己の夢が現実とのギャップに苦しみながら家庭をはみ出すとき、その関係を断たれた個体が精神病患者と呼ばれる。著者は患者達に寧ろ驚きと畏敬の念を抱きつつ、まるで浄土の綻びを縫うように丹念に観察記録を作成し、逆説的にだが、それは示唆に富む人間讃歌となって読む人の心をうつ。社会生活の関係項としての役割を解かれ完全に自己完結した場合が精神分裂病であり、こうなると宇宙飛行士が宇宙から帰還するよりも難しい。シュルレアリスム詩人・西脇順三郎の実験詩「旅人かえらず」ではないが、いわゆるユートピアに永住権を持つ住人となる。そもそもの成立ちにしてからが法的処方を欠いているのだ。話は横道にそれるが、同氏にはシュルレアリスムはアレゴリーか?の設問のもとに書かれた「近代の寓話」なる卓越した詩集もある。

 正常とは必ずしも正しいとは限らない世の中のルールに、たかだか適応性があるというに過ぎず、そのような枠組みに免疫を欠いた<患者達>にとっては過剰防衛の裏返しの領域でしかない。一体、外壁だけの建物があろう筈はないし、影を奪われた実体というようなものもないのだから。ちなみに一本の線が引けない患者が、一本は二本だから一本ではない、と主張することは充分ありうる。まことに理に適ったものであると同時に、その行為を信じたり疑ったりする根拠も患者側にしかないのだ。二本の線を束ねる智慧は多分、神の手に委ねられている。少なくとも、より神の近くにいるのは患者の方であり、余計なものを抱え込んだがゆえの特待席で、折角の天恵をうまく翻案出来ないでいる。正常人にとって窺い知れないこの第三の眼は常識を根底から脅かすものとして排除されなければならず、目隠し鬼ごっこでなければ原理的に患者との共存は不可能である。或いはこんな風にも言える。正常人の部屋の窓は一つしかないが、いわゆる精神病者の部屋(病室ではない)には五つも六つもあって、それらの風景がみえないというだけで窓はないなどと誰も決め付けられないということだ。「責任能力」なしの診断書だけで保護と隔離をほぼ同格化し、患者を犯罪者(冤罪者)と同列に扱うカラクリめいたしくみが正常かどうかを今一辺、考え直すべきではないか、と自責しつつ、以下のような感慨深いフレーズで本書を締め括っている。

 私は本書を、私が精神科医となって以来の十七年余の間に私と親しくつきあってくれた多数の分裂病患者たちへの、私の友情のしるしとして書いた。そこには、私がしょせん「正常人」でしかありえなかったことに対する罪ほろぼしの意味も含まれている。

 

 

 


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