文学的な非行や非行文学に就いての詮索は無用。前者は誤解か偶然のどちらかでしかなく、後者は手懐け難い才能のしわざだからだ。(サリンジャーのペーパーバック本をテロリストのポケットに発見する確率は極めて低い)
本書を採りあげたのは供給者側の偽装工作を問題にしたかったから。一体全体、ハーレクイン・ロマンやコバルト文庫の読者層に、宗教的で哲学的に深遠な世界がどれだけ理解できるだろう?この不況続きで出版界のレシピが精神的レイプに大化けしたのなら兎も角、やっていることが、ブルセラやテレクラのロリコン・パパと変わらない。
装丁はライトノベルばりの軽いノリ、ペンネームやタイトルでもお里が知れそうな代物である。通常の読者なら、そんな<桜井亜美>は御免だろう。斯く言う自分も、宮台真司「世紀末の作法」(平成9年・刊)の「ヨイショ」に乗せられてのめり込むまでは、よくあるシノギの風俗のポップなサンプリングくらいにしか思っていなかった。ところが手にして驚いた。この落差はなんなのだ。全身総毛立つ、どっしりとした中身の、迫力のある思想書である。しかも、2ヶ月に一冊の量産ペースと聞いて、一瞬、膝から下がガクガク震えたのを覚えている。
切り口が鮮やかであればある程、トレンドの垢も溜り易い。風俗嬢と言えば、そんな時代の足の裏だ。宮台氏が舌舐め擦りするのも無理はない。バブルの雲行きがそろそろ怪しくなり始めた80年代後半、風俗最前線は骨董いじりにはむかないオジサンたちの熱気でムンムンしていた。ディープな取材活動で知られる宮台氏の潜入リポート・第2弾は、今では社会学のお手本のようなもの。そもそも一昔も前の話に尾鰭がつくのは、本書の出現が余りにも衝撃的だったからである。その時の少女地獄の生き証人は何処へ?初出本の体裁は?
思考実験でデジタル合成されたミュータントではないのか。いや、鉄のガードで幽閉された飼い殺し、人権蹂躙事件である。等など、どちらにせよ、符牒が合いすぎる。頃合をみた版元は手加減よろしく覆面対談でお茶を濁す。あの手この手の時間稼ぎで作品の付加価値を高め、田口ランディのあの田舎っぽさを切り捨てた。
「イノセントワールド」−さわれば大火傷の反語的でキナ臭いドライアイス。この自己完結型の受け皿には罠もある。もがけばもがく程深みに嵌る、既成概念の自縄自縛で、危うくスケープゴートになり兼ねない。自ら為し得ぬ事を他に委ねるとは、何と変わり栄えのない<旧約の世界>であろう。言葉を所有する者は天国と地獄を同時に生きることになるのだろうか。
内に籠る情念の火もそこそこに、その気になれば、いつだって「若者たちの太陽」となる。コリン星人のきもいニコニコ顔が、お茶の間から消えてなくなるまで、舞台の袖で丁寧に爪を磨いている。それこそ、ヘンなオジサン(この場合は宮台氏)の網に罹らなければ、芥川賞間違いなしの鳳である。不可解な暗号の海を泳ぎきるには、「超オッケーっす!」 そんな手合いの目配せも疎かにできない。
本書のエッセンスは以下の通り。
主人公アミの出生の秘密は禁断の精子ドナーにあった。漸く巡り合った生物学上の父とは初対面でファック、自分の尾を噛むウロボロスのように円環を閉じる。一方、父方の遺伝子が原因で知恵遅れとなった兄とは、度重なる情交で懐妊。これでインモラルな入れ子構造の牢獄は二重の鍵が掛かる。外側の世界には彼女の住む場所はない。なんと<精子ドナーNO.307>は、兄に受胎報告をした<ラブホテルの部屋番号308>と連番。しかも隣り合わせの侭、位相の異なる運命の部屋である。だが、これだけでは皮肉にも冗談にもなるまい。気分の形而上学でしたたかに酔い、近親憎悪をはぐらかすのでなければ・・・。
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