本書は内憂外患で身動きの出来ない一女性科学者が、自己のいのちをより厳しく見据えることで、宗教的な霊性に目覚めるまでを赤裸々に書き綴った魂の履歴書。その壮絶な中身からは、前著「生きて死ぬ智慧」の現場検証と言った趣すら感じられる。
世の偏見に抗い、夫と歩んだ学問の道も、或る日、突然、不治の病によって断たれる。死の恐怖や誘惑に繰り返し悩まされ続け、失意のどん底から這い上がるまで、ほぼ半生が費やされる。その期間の闘病生活はむしろ修験僧の荒行と言った方がよい。自ら科したこの「求道精神」には科学者としてのユニークな視点が存分に生かされていた。
カール・バルトの「神なしの神学」に想を得て、ボンヘッファーの超越性と抵抗の神学へ、量子論の「波」と「粒子」という哲学的な考え方に導かれて般若心経の世界へ、はたまたフロイトの潜在意識からアーキタイプに遡行し、目くるめく変転を重ねながら涅槃に到る。爬虫類の記憶から至高体験までの脳内進化の様子が、モルモットの観察記録のように克明に描き出されてゆく。
女性であること。こればかりは当時も今もハンデキャップなしにはありえない。ジェンダーやらセクシャル・ハラスメントやら、姦しい黄色い渦に巻かれて流れ着く先は、やはり、女性であること。
彼女はそんな時代の妄想を尻目に、「神なしで神の前に」立つことを選んだのだ。彼女自身、自分の「神秘体験」は既に科学が証明済みであるとも言う。
黄昏の身にうつうつと濃き思いおのが
無残を生き尽くさんと
この詩魂が文法的に正しいことと同義であろう。
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