書家には美文家が多い。書体のありようがそのまま文体意識と重なり自家薬籠の文章表現となるのかもしれない。わけても本書には自在な鑑識眼と硬派な学術的態度で卓越したエッセーや論を手懸けている著者のレトリックの白眉がある。タイトルは一日千里でも千年一日でもなく<一日一書>、これぞまさしく達人の言である。一年で365字になるこの集字整序は絢爛豪華、学識経験豊かな著者の古今東東(書である以上西はない)の文献渉猟により一字が万字の万華鏡となった観がある。一見クロスワードパズルめいた漢字歳時記だが、大般若波羅蜜経600巻が262字に凝縮されて仏教の精髄を伝える般若心経となったがごとく、漢字文化圏の諸相を要約した書のエッセンスとして圧巻である。ちなみに著者には「書の宇宙」全24冊の編者としての労作があり、本書はその内容を踏まえた上でのユニークな試みである。初出は京都新聞一面のコラム欄で、同タイトルで好評を博した連載物の書籍化。著者自身、余程思い入れが深いのであろう。よく噛締めて味わうならば一字千金に値するかもしれない、とあとがきにある。
今を時めく石川九楊氏は前衛中の最前衛、これが書道?と言いたくなるような表現方法で書かれた作品「歎異抄」は余りにも有名、まるで地震計測器の微細な針の揺れを移しとったような線状の平面構成は、もし、こう言ってよければ書壇にマグニチュード7の激震を走らせた起爆実験の証拠物件でもあった。一方、氏にはユーモラスな側面もあり、ちなみに本文中の2月4日<立>の項目ではその筆跡を指でなぞり、「トン・スー・トン・ズー・グー」と表現して悦に入る等、ディレッタンティズムの極意はこんな風にもなるのかと感心させられる。もっとも何紹基の「雨」にみじんの深刻さもない明るい雨を降らせることを心得た氏にとっては造作もないことなのだ。何はともあれ本書は驚きと発見に満ちた至れり尽くせりの漢字考証学である。書を志す者にとって如意宝珠のような秘伝書となること間違いない。
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