ランボーを読みたい一心で、一頃、アテネ・フランセに通ったことがある。もう随分昔の話だ。結局、ものにならず、原詩は背景に退き、小林秀雄訳「地獄の季節」だけが残った。
しかし、充分手ごたえがあった。なまじ原詩を齧っていたら、あれ程の感銘は受けなかったろう。丁度、十二弟子の悩みを通してしかキリストの真意を理解出来ない信者のようなものだ。−小林秀雄というよき伝道師を得たことになる。
ランボーの詩は読んで理解する等といった生易しいものではない。作品の底に引き摺り込まれ、ボロボロになるのは、なにもポケットに忍ばせて歩いた薄っぺらな岩波文庫本とは限らない。ランボーは水がコップの形状に従うように、存在自体が夢と化す詩の攪拌器だった。小林自身、後年こんな風に述懐している。−「私の全著作はランボーを忘れる為にある」。彼一流の韜晦癖とは言い切れまい。
多分、ジェラール・フィリップの「酔いどれ船」も聞きとれるかも知れない。ヒンデミットのマラルメからシュトックハウゼンまで、犇いているこの記憶の部屋に、今はしっかりと鍵を掛けよう。青春の襤褸を纏うようでやりきれない。
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