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日付:

2012/11/10

タイトル:
<自己責任>とは何か
著者:

桜井哲夫 

出版社:

講談社

書評:

 

 久しぶりに味わうこの読後感の清々しさ! 東西の伝統的文化圏から<責任>の語源を掘り起こしながら、バブル崩壊後は頓に現実味を佩び始めた丸山真男の「無責任の大系」の篩にかけて、いかがわしい諸概念を一掃する、シビアな学問的態度に感服したためであろう。タイトル自体が<自己責任>とは何ごとか、の誤植ではないかとすら思えてくる。ちなみに著者の論法を、再開発事業の失敗に当て嵌めるなら、現場責任(=事業主体)、管理責任(=金融機関)、経営責任(=地元業者)の三つ巴の確執がうやむやなまま、合意解約とはならず、三方一両損の大岡裁きとは似ても似つかぬ、弱者の袋叩きで終わったことになる。今にしてみれば日常茶飯の光景だが、見方によっては天皇制ユートピアの変わり果てた姿でもあるのだ。進歩的文化人のそれいけどんどんの似非テキストもさることながら、規制撤廃による急拵えの経済構造の歪みが<自己責任>という盲点に収斂されたためであろう。デンジャラスな計画下のリスクは、パフォーマンスとプラクシスの分数解の負数となって現われ、否応なしのデフォルトでいまや不良債権は山積みとなった。金融ビック・バンを翌年に控えた1998年発刊の本書だが、兎角陥りやすい通念による弊害を暴きたて、近代化に遅れをとったインドと中国が我国の頭越しに大股で通り過ぎようとする今世紀の動向をみごとに先取りして警鐘を打ち鳴らしている。

 本書を手懸りに、ざっと半世紀余の国情をおさらいするとこんな風にも言える。戦後間もなく公開されたマッカーサーと天皇の屈辱的なツーショット写真に挑発され、持ち前の乗り易さが功を奏して極端な経済成長となつたものの、度重なる内政干渉で政財官のフル装備に罅が入り、アイデンティテーを奪われた我国は、言語道断なプラザ合意で止めを刺され、二度目の敗戦を余儀なくされた。それはさておくとしても、戦時下の緊急措置にいつまでも後髪を引かれたままでは、著者も危惧するとおり、伝統に培われた折角の国威発揚も台無しとなり、跳梁跋扈する性悪なイデオローグに振り回されるだけであろう。「一言にしていえば、明治に適切な型というものは、明治の社会状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会状況を形造る貴方方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです」―いみじくも著者はこの夏目漱石の含蓄のある講演の言葉で本書の結びに代えている。おやおや、明治もそう遠くはなかったようだ。お人好しだが、気概溢れる坊ちゃんと山嵐が鹿鳴館の浮かれ騒ぎを遠目にみてポケットで握り拳を固めている。


 

 

 


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