私達の暮らしになくてはならない西暦。とは言え、千年一昔とは何と遥かな文明観であることよ。どの民族の背丈にもぴったりというわけではない。しかし今更、裸の生活も粋な着流しもないだろう。背広にズボンの定番から抜け出せそうもない。
実は、この西暦、ルシファー暦に仮縫いされたポケットのようなもの。それも前世紀の付け焼刃でしかない。フリーメイソン史観のものさしをあてると1999年の空騒ぎの底が測れるという。そのポケットの破れ目から一斉に舌を出すのが一寸法師のメシア達だ。
50億年にわたる宇宙史のワンサイクルのあとマイトレーヤが現れる。全思考を束ねて燃やし尽くしても、そんなデタラメ気分にはとてもなれない。1万年単位のマヤ暦にしても、まだ夢の中だ。さればこそ実務派・ルシファーの付け込む余地があった。
西欧精神史の原点といえば洗礼。メシア再臨には千年王国の書割がある。こう考えてダニエル書を紐解くと、21世紀はなかったことになる。これが敬虔なクリスチャンの模範解答。イエスの洗礼から2000年目の最後の審判が、取り敢えず西暦2026年にあたるという。ダヴィンチの絵に堕地獄の謎を読み解く眼力もある著者だ。自説の撤回はないらしい。
|