「チイチイパッパと叫ぶ蝉あり闇の国」いきなり顔半分を諦め、行きあたりばったりの遣り切れなさに当惑していると、「お父さん、蝶々がいかに道をそれたか」と背中を叩かれる。どうやら今度は信仰の火と向き合わされたようなのだ。多分その時、誰もが「メチルオレンジが五臓六腑を駆け巡る」さわやかな朝を迎えることだろう。この謎めいたタクトの一振りで渓流に似た僥倖が溢れ出し、「心臓破りの丘には麒麟草がいい」そう一息ついて間もなく、真昼の見晴らし台から「官僚的セレナーデが眉間に残せし三日月」を遠望する。薄暮に弓を引き絞る教会のドームはセンチメンタルな花の客を誘うだろうから、そこは唯、ナンセンスの力感を存分に楽しむだけでよい。やがて夜ともなれば類稀な安定へ、「天才のからだが旧態依然の海へ」。やれやれ、「星の王子の鼻の先だけ埋め残せ」今日一日も何や茅と未遂に終わったようである。「沖では遂に炎がたてがみを振る」これはマラルメだ。「葬儀ノ後ノ真空管的少年ヲ愛ス」これは瀧口修造だ。秀句も冗句も寡黙ながら汗だくのお祭り騒ぎ、カジノめく射幸心で言葉遊びの種は尽きない。
時系列のルールならずとも、連想に火が点けば、失敬ながら言語ゲームは如何様にもなる筈。ランボーの<架空のオペラ>なら兎も角、人体を欠いたらオペラではない。だが、オーガニックな人体聖堂が音楽的に再構成されたからと言ってゴスペルとは限らない。この全161句からなる第五句集が作者の闘病記であることで余計な誤解を招かねばよいのだが。それは兎も角、以下の例題を冬のテーマにより徹底的に内政干渉されたし。しかるのち、精力絶倫の俳諧師ばらは散会せよ。
醒めてしまえば私も空中の菫だ
深夜の水に誰か関節を与えよ
筋肉質の真空となるための旅
冬空を剃りあげてから駆けだすぞ
まひるまのナザレに鰯の煙かな
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