自由は最も厳しい選択による現実的な側面かもしれない。歌には制約が、詩には自由がある、と語ったとおり、彼には不用意だが単刀直入な言語認識がある。多分、彼独特のフォークソングは、ロックと哲学の安らかな間合いに生まれたのだろう。何故なら、主題が搾られてこそ、歌に味が出る。感情に奥行きと深さを与えるものこそ哲学だからだ。ディランのライブには、突然、楽譜を破り捨てて、踊りまくるパフォーマンスは一度もなかった。
夢が脱出の特効薬として、常に彼のポケットに暖められていたわけではない。単なる比喩として語られはすれ、むしろ過酷な現実の再投影でしかないだろう。彼は、あくまでも主題に拘る。そしてサーファーのように沈黙の壁に体ごとぶち当たる。サーフボードがなければもう間違いなくパンクロックだ。或る事故をきっかけに、貪欲な業界に裏切られ、反神話の季節の住人となることを宣言。生きるには赤裸々でなければならない。何が起ころうと、自分自身と向き合うことを恐れたり、怠ったりしないことだ。キリスト教に傾倒して以来、「ネバー・エンディング・ツアー」の名で、今日までたった一人で歌い続けて来た。ステージ活動に留まらぬ音楽家の良心は数々のレコーディングとなって生きている。
ボブ・ディランは最初からいたんだ。
ずっとね。
ぼくが子供のときにもいた。
子供が何者なのか親ですら知らない
ということはあるものさ。
彼の出自自体が感慨深い上に、晩年の創作に対する情熱も感動的である。
いま、ロックだと思われているものは、
ロックの墓石なんだ。
それが10億ドル単位のビジネスに
なっている。
こんな話、まじめに聞いても無駄だよ。
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