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日付:

2006/11/12

タイトル:
鍵のかかった部屋
著者:

ポール・オースター (柴田元幸 訳)

出版社:

白水社

書評:

 

 ミステリー風味のある純文学の傑作、しかもエンタメ心も満杯。どこにも文句のつけどころがない。アクロバティツクな見せ場も心得たもので、ポーやホーソンが舞台の袖にチラついても、少しも古臭ささを感じさせない。しかしながら、一方の雄、トルーマン・カポーティの、水面に漣立てて炸裂する花火のような、あの眼の覚めるドラマツルギーはない。もし、この都会派の二人が膝を交えるようなことにでもなれば、溝を深めるのは死生観の違いということになろう。カポーティの小説作法ではひとは生きたとおりにしか死なない。オースターの場合は死ななければ生きられない気難しい登場人物ばかり。ちなみに、本小説の謎めいた主人公・ファンショーは、ホーソンの作中人物と同名である。スリリングなストーリーティリングの鍵を握ったまま伝説の闇の中から姿を現さない。

 語り手(=僕)は一中堅ジャーナリスト、物語は作家特有の自意識過剰のカリカチュアライズが細部に及んでいる。「鍵のかかった部屋」は病める魂がこんな具合に占有している。−症例@忘れられた辺境の別荘の一室に引籠もり、さらに厳重に鍵を掛ける。−症例A脳内記憶の爬虫類の部屋に幕を降ろしても眠れそうもない。どちらにせよ、破滅の匂いが立ち込める密室なのだ。扉の外側から侵入する者があれば共倒れとなり、そのまま隔離状態であれば自死するしかない。もっとも無名なら死は蛇足ということになる。

 作家を断念し、美しい妻と生まれたばかりの息子を捨てて、謎の失踪を遂げたファンショー。遺された原稿の山は、奇妙な巡り合わせで、彼の学友(=僕)の手に託される。出版は大当たりだったが、作者探しの矛先が「僕」に向けられてしまう。弁解がましくも幻の作家の評伝を引き受けざるを得なくなり、「僕」は作者の生存確認と資料探しに奔走する。法律上の死の寸前、漸くファンショーに回り逢うことになるのだが、その時、相手は硬く扉を閉ざしたあちら側の部屋だ。懺悔聴聞僧のように暫く息を殺して告白に耳を傾けていたが、沈黙を破ったのは隣室の一発の銃声であった。扉の隙間から原稿の束を手渡された「僕」は、帰国途上の車中でざっと眼を通し、次々と破り捨てる。天才は世に出るべからず、真実は人目に触れてはならない。死んだファンショーのためにも。−これが手の込んだ物語のあらましである。

  「他者の影を盗んですっぽり自分自身が収まる」−パリ滞在中の「僕」は、とある場末の酒場で、突然、奇妙な強迫観念に襲われる。ファンショー探しの焦りと困惑で発狂寸前となったドッペルケンガー体験。眼を鉢合わせた肩越しの酔客に「ファンショーはお前だ!」と掴みかかるや、大乱闘となった。激しいの揉み合いの末、泥酔状態のまま留置所に保護される。不在の影に実体を嵌めこむ多パターンのリフレイン、その半永久的なパラサイト・リヴ、奇怪な方法論の渦に巻かれたボロボロの姿がここにある。

 ポール・オースターは作意の人である。作意が親しみを感じさせる才能というものは確かにある。彼はハリウッド映画の脱出劇のような心理描写には同時代のどの作家よりも長けていた。


 

 

 


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