痴態の名残のほのかに匂う性域に、さあ致しましょうか、とこの小説は始まる。誘われてページを繰るのは指なのか微風なのか判然としない侭、波を被るようにして海月のように水に浮かんでしまう。立つから浮かぶへ、これはひろみ・わんだあらんどへの入門儀式なのだ。
デッサンは省略の技法でもある。描かれたものと描かれなかったものとの間合いに息を通わせてこそ表現に深みが出る。自由自在で説得力のある一本の線に導かれて、まずは人魚の住む洞窟に入る。
人間味は色を塗り替えるだけで、獣味、妖怪味となる。何れも温かいものだ。枠を外された名詞や動詞やらは「て にをは」で結び直され、形容詞で練り合わされる。基本的にシンクロニシティを存在の起源とする世界だから、因果律とは無縁なのだ。
人間が人間となった為に亡失してしまったもの、遠い望郷の念に呼び覚まされて、原初の気配の神に包まれる。それらは熊の媚態であったり、河童の阿波踊りであったりする。この物の怪祭りの輪の中で、私達が人間となるのも角度の相違に過ぎないかも知れない。
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