林亨泰(リン・ホンタイ)は「言語を越える世代」の代表的詩人のひとり。事実、中国語圏にあって<日本語から中国語へ>、詩を普遍言語として二国語間の壁を取崩し、表現の場の確立をもののみごとにやってのけた。80歳を過ぎた今も創作意欲は一向に衰えそうもない。しかし、ヴァレリーの翻訳なども手懸ける本格派の仏文学者だ。実験詩を繰り返す中で、常に完璧なレトリックを心掛けていた。長い文筆活動のわりに寡作なのはそのためであろう。本詩選集によっても、ほぼ全貌を知ることが出来る。
日本軍の撤退で台湾省に復帰したものの、来台した国民党政府によって戒厳令が敷かれる。この荒涼とした精神風土では創作言語の転換もままなるまい。国家的犯罪に蹂躙され民意に足枷を嵌められた40年間、一体どうやって生気を取り戻したらよいのか。そんな怨念が表題の「越えられない歴史」には籠められている。実状をはぐらかす象徴的な手法でしか表現出来ない歴史、むしろ「言語の歴史」をリンクさせることで、夢魔を払うしかなかったのかも知れない。「出発」と題された詩が謎解きのキーワードとなろう。
光が私の髪を
波状にまきあげる
鉄道の線路のうえを
私は風を裂いてすすむ
ランボーと見紛う出発点に立ち、継続的な予感に酔い痴れながら(詩人とはいつもそのような存在であったから・・・)、幸せの断続的な到来(詩とは常にそのようなものであろう)を待つ。抽象を意欲するもよし、具体を嗜好するもよし、その戸惑いが進化する表現の場には必ずや言語空間のバン・アレン帯とでも称すべき濃密なエネルギーが充満するものなのだ。ともあれ「言語の歴史」のテーマ化で、過去・現在・未来の情報が一気に戦後世代の双肩に圧し掛かることにもなる。
過去が完成すれば未来への展望も明るい。それをしも歴史的現在と呼ぶのなら、戒厳令下に最も良質な詩の開花がみられたのも不思議ではない。不毛の冬の時代だからこそ、魂を根底から揺さぶる地下水脈の滔々した流れを汲むことが出来た。彼にとってモダーンは奪い取るもの、北園克衛や他の生来のモダニストにはこのレジスタンスの精神はない。日本語で懐胎した現代詩が中国語で呱々の声を上げるには、この助産術が必要だったのかも知れない。
「出発」には「思慕」に歌われた通りの背景がある。
荘厳な夕焼けを背景とする
郊外。私。恋愛の幼虫。
私。匍匐。私。包囲。包囲。あの
恋愛の都市。あの灰色の光。あの夢
の明かり。
詩が物語の衣装を纏う時、諸々の夾雑物は捨象され、生活臭のない優美な言語美となって現前する。詩が詩人の袖を引く街角で、物語と作者の信頼関係に奥行きと深さが加われば、言語操作は自在である。植民地時代の日本語詩と、中国語で書かれた後年の詩に如何程の違いがあろう。彼のライフワークは終始一貫して詩の渦中にあったのだ。
「秋」と題された詩には、心情のおおらかさがあり、夕陽に映える日章旗が、世にも美しい決意を波打たせている。林亨泰のモダニズムには郷愁の国・日本が深く息づいていたのかも知れない。
鶏が、
足をたたんで思索している。
鶏冠が透き通るように赤い。
だから、
秋はもう深い。
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