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日付:

2012/12/17

タイトル:
国家と神の資本論
著者:

竹内靖雄 

出版社:

講談社

書評:

 

 奇妙な表題もあるものだなと感心しつつほぼ半日で読み終わった。まるで梯子酒でご機嫌の千鳥足の先生の肩を支えながら、溝板に嵌らず何とか無事に帰宅させた、と言った風である。目隠しされておんぶして、与太話まで聞かされたわけではないから、まあなんとか後味だけは悪くない。縮小均衡のデフレ社会では、リヴァイアサン(国家)か見えざる手(神)のどちらかしかない「悪魔の選択」がテーマらしいので、唯々、限りなく醒めてしまう。全くの処、筋の通った酔っ払いほど粘っこいものはない。― 国破れて金塊あり、か、成程ね。金持ち喧嘩せずと言うから、或いは人類の未来は意外に明るいのかも知れない。

 <学問のすすめ>はしかと解った。しかし、素養がなければ折角の学識経験も才能として身につかないし、却って背負いきれずに逸脱してしまう。その恰好のお手本のような気がしてならないのだが。目と耳が二つづつ、鼻が一つに口が一つ、合計幾つ?の寄せ算ではないが、それこそ、各々方は正しくても全部掻き集めたら大間違いの「合成の誤謬」、経済学者であれば必ず思い当たるあの命題である。灯台下暗し、とはよく言ったものである。1995年当時、公共事業が頭打ちとなったバブルの崩壊で津波のように襲ってきたのがグローバリズムだが、この先生、誰よりも早くレッセ・フェールを叫んでしまった。旧約聖書から天皇制まで一気に捲し立て、それも舌が縺れないのが不思議なくらいの自家撞着ぶりである。どうやらクイーンエリザベス朝時代の番頭によるロビー活動の新装復刻版が天皇制クラブ社会とでも言いたいらしい。著者ほどの博覧強記をもってしてもこんな納税民主主義の変わり果てた姿しか思い浮かばないのだろうか。 

 市場の監視役としての国家が、国家間の闘争を経て、生殺与奪権を行使する寡頭政治へ移行し、市場原理主義の罠に嵌って、国家も民主主義も自滅する。いっそのこと、そんな結論であれば清々しいのに、もともと「ハーベイロードの近道」しか知らない上から目線の先生である。金で解決のつかない問題はないらしいのだ。究極のイノベーションでエントロピー増大に歯止めがかかる永久機関でもあれば話は別だが、これではどう転んでもユートピア論の類を出ない。新世紀の黙示録、大いに結構、しかし、この頭でっかちのエコノミストはソクラテス流の消去法で手足をもぎ取られ、気象学者ほどの見込み違いにも気がついてはいない。ハムレットのセリフではないが多国籍企業による競争社会では「世の中の関節が外れてしまった」としても何の不思議もないであろう。これでは「神は天上にあり」のヨーロッパ中世における人類封じ込め戦略の蒸し返しにすぎない。歴史は足踏みをする。



 

 

 


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