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日付:

2006/06/30

タイトル:
狂気の価値
著者:

西丸四方

出版社:

朝日新聞社

書評:
 

  ほぼ半世紀前の我国の精神病患者を取り巻く劣悪な環境を思えば、本書は改心の名著。個人的な業績としてハイレベルなばかりか、中身の濃い学際的なリポートとなっている。一休禅師からジャンヌ・ダルクまで、卑弥呼からクライストまで、精神病理学の専門医としての活動基盤に立ち、その古今東西に亘る博覧強記を援用しつつ、開陳される学説は、臨床経験と些かも齟齬を来たしてはいない。しかも、読物風にアレンジされていて理解しやすい。孔子の友である「狂狷者」は、著者の親しい隣人である「精神病患者」となって、人間悲喜劇のエピソードの中に息を吹き返す。科学が是ほど人間的で温かいものとは知らなかった。狂気に就いての奥深い眼差しには頭の下がる思いである。

 一般に「病」は身体の異常として現れ、人間の営みに害を齎すものだが、狂気、精神病、心の病は必ずしもそうとは限らない、と著者は語る。皮肉や反語としてではなく、寧ろ、主客両面に亘る効能すら認めた上で筆を進めている。進化論を補足するウィルスのような役割を感じて「狂気の価値」と、あえて明言したのであろう。脳梅毒以外の心因性の精神病は、社会問題を読み解く暗号のようなものであり、必ず根治出来ると説く一方、天才の脳の刺激剤でもあり、多くの傑作は発病期の所産であるとして、ニーチェ、大川周明ほか、思想家・芸術家の名をあげて解説を施す。発端は徒然な身辺雑記だが、学問的良心で書き綴られた本書は、精神医学の貴重なクロニクルとなった。

   死と生の問題に直接拘る「狂気」、深淵が口を開けて天才を飲み込もうと身構える時、想像力が全開になる。萌え出る「心の草」が原意である「狂」が文字通り犬の王でしかないとしたら、それは唯、歴史の貧困というものであろう。

 正常と言う凶器が、世間の暗い片隅の檻の中に追いたて閉じ込めた狂気。そこに理性の光をあて、人間精神の聖域とした著者の英断は、郷里によくある偽善者、したり顔の議員先生にはぐさりと来る矢羽の如きものとなろう。「卿原は徳の賊なり」−屡、良民の犠牲を強いる奇妙な特権意識を喝破した孔子の言葉である。


 

 

 


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