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日付:

 

2009/3/18

タイトル:
狂気と王権
著者:

井上章一

出版社:

講談社

書評:

 

  如何なるイデオロギーであろうとも「狂」の一字で無力化できないものはない。この問答無用のお呪いは使いみちがある。向うところ敵なしのナショナリズムの文脈にお誂え向きだし、政治的なデマゴーグの灰汁抜きにもなろう。そんな曰くつきの黒いカルテを世に知らしめたのが王権謀略説である。それによると、皇室典範と憲法の例外則として議会決議を得た苦肉の施政方針は、いわば超法規的なXデー対策であった。今日では本国に持ち込まれたバイエルン憲法に毒を盛る所業として知られる。具体案を巡る閣議が紛糾を極めたのも無理はない。元凶は伊藤博文、議会を愚弄して皇室にパラサイトし軍事政権の駘蕩を促した亡国のひとの罪は重い。

   マッカーサーによる我国の戦後処理に伴う天皇裕仁の発言には謎が多い。元々、公式記録のない密室談話だから、後日、さまざまな思惑が生じたのも無理はない。著者は「延命か尊厳死か」二者択一を迫られた天皇の微妙な立場にこそ、戦前・戦後の皇国史観の雛形があると主張する。確かに戦時下の昭和天皇はハト派ともタカ派ともつかぬ鵺的な存在として我国の国政に象徴的な役割を果たして来た。かの有名な2・26事件に関しては皇位簒奪の黒い噂が尾を引き、思い入れタップリの関係者の間には、まことしやかなこんなオフレコもあったらしい。―もし、秩父宮殿下に太平洋戦争の指揮権があったら必ずや我国は勝利したであろう、敗れたとしても殿下なら自決する筈だ、と。


 本書には、オカルティズムからレッドパージに至る広大な領域に王権と狂気の座標軸を据え、その交点に歴史的事件の謎を読み取ろうとするユニークな手法が見られる。元女官長・島津ハルの不敬罪、名門の血を引く左翼テロリストの大逆罪、ノイシュバンシュタイン城の国王の破天荒な放蕩三昧、これらの事件が在位60年余の昭和天皇と因果関係で結ばれる。官僚と言えばお国大事、その風当たり次第では一人一党の義賊も八紘一宇の現人神も「狂」の一字であとかたもない。反戦の態度を変えずにいたら「私は精神病院に入れられたか、殺されていたかも知れない」と独白録にある。これぞまさしく人間天皇の偽らざる心境と言えよう。

 蛇足ながら一言。高度経済成長とは裏腹な人心荒廃により、法治国家の箍が外れ、戦後60年の世相は崩壊家族のフォークロアで溢れかえっていた。この「廃戸主」「主君おしこめ」の下々版は、文字通りの狂気が王権(=家督)を無効にした。
 

 

 

 


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