ダダはシュールレアリズムと共に20世紀最大の芸術思潮となってヨーロッパ全土を席捲した。その原義はさておき、直情径行のエピゴーネンには気をつけたほうがよいのかもしれない。虚無すら是認する大肯定の世界が否定の精神である筈はないのだから。もともと草案者・ツァラの母国語でダーダは「然り」の意。ところがどうだ、千頁を超える辞書の数万語から弾き出された瓢箪から駒のジャンク品というのが定説。確かに神話好きの情報雀を湧かせるにはお誂え向きの挿話ではあるが、所謂ランボーの合理的錯乱の系譜にしてみれば些か的外れの感を免れない。
ともあれ前人未到の神話の森にもこのところ伝記的事実が見え隠れしている。反戦家が愛国者というのも落ち着かない話だが、この煽動家は偶々戦火のどさくさに紛れたデラシネである。祖国を捨てたわけではない。学際的な都市・チューリッヒで怒りと悲しみに明け暮れるエリート達に自説を熱っぽく語りかけるツァラの泣きっ面をとくとご覧あれ。どこの馬の骨ともわからぬこの若造は、とりわけ優生学上の資産形成に役立ちたい、等と能書きを並べる体制べったりの手合いにとっては目障りであったことは間違いない。その事実だけでダダがダダであるための必要にして充分な条件を満たしているとは言えまいか。勿論、戦時下ハウツウ物の辻褄あわせと一目で解る無責任な活動家のプロパガンダではない。この片眼鏡の手入れに余念のない銃後のトロッキーは世界が根底から覆るかもしれないアポカリプスの正真正銘の使徒であった。まさかローマ兵の血をひく五尺そこそこの異端児が、妾の子の分際で本家乗っ取りの野心を抱いたりはしまい。それこそ自戒を籠めた御託宣が用心深く<熱さまし氏>と僭称していることでもわかる。
両雄並び立たず、は世の鉄則。ブルトンとツァラの関係はピカソにとってのピカビアだが、同時代に生きた天才のどちらに軍配が上がるかは、ほぼ一世紀を経た昨今、そろそろ回答が得られそうである。ツァラには不安が、ブルトンには狂気が、愛の代償物として終生付き纏うことになるとしても、どちらがより多く愛したかは憶測の域を出ない。決別後、和解を頑なに拒んだのはツァラのほうだが、この二人に共通の友として深い理解を示したアポリネールは性格上の悲劇を拡大解釈したシュールレアリズムよりも、詩人的気質に殉じたダダにシンパシーを感じていたらしい。ありていに言えばブルトンは身も蓋もなくなるが、アレゴリーよりもメルヘンのほうがメンタルで奥が深い。問題は宇宙的な深みの確実性ということである。ツァラはルヴェルディやピカビアを俎上に乗せることでその核心に触れている。
「・・・ルヴェルディは、明確で、自由で、宇宙的な確実性のほうに、ますます注意深く傾斜している。法律など存在しないのだから、あらゆる行為がぼくらには許されている。あらゆる手段を用いよう。どの要素もぼくらを呼んでいる。性交後の太陽の正確な花」―さあ、どうであろう。何か思い当たりはしないか。出口のみえない長いトンネルの漆黒の闇をランプもなしに歩くとはこう言うことである。戦地体験を通してこの世の地獄を目の当たりにしたブルトンには毒(狂気)にも賞味期限があることを学ぶ術はなかった。
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