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日付:

 

2007/04/19

タイトル:
ナイティンゲール伝 他一篇
著者:

リットン・ストレイチー  橋口 稔 (訳)

出版社:

岩波書店

書評:

 

 著者がナイティンゲールに見た<悪魔>は、彼女の守護天使を自在に操る魔界の王・アブラメリンではなかったか。幼少の頃から、周囲を戸惑わせ続けた彼女の過剰な善意は、後年、取り付く島のない献身となって伝説化する。もし、神が無限に自己増殖するとしたらどうであろう。我が身を損なわざるを得まい。神も人と等しく死ぬ定めとなろう。世間を凌駕する女丈夫の優男たちとののっぴきならぬ関係、これをしも神ならぬ人の「自滅の構造」と呼べるなら、彼女の菩提心とやらに少しは疑いが生じてもよさそうに思われる。

 「アヒルが白鳥を生んでしまった」と悲嘆に暮れる家族だが、どうしてそんな生易しいものではあるまい。彼女は岩に爪をたてる猛禽類、已みがたい看護活動への情熱が31歳で不動の信念となって羽ばたいて以来、故郷をその目的以外の理由で顧みることはなかった。彼女の誇るボランティア部隊に黴臭い名誉心など一片もない。まるで休止符なしの、がむしゃらな音楽隊のように、天上の壁にぶち当たるだけだ。最愛の友である若き貴族院議員は激務が災いして倒れ、片時も身辺雑務を怠らなかった叔母は消息を絶ち、世辞に長けた執事のように忠実な相談役は最晩年に至るも罵倒され続けであった。彼女の92歳の生涯は、自分らしからぬものの全てを、容赦ない自己研鑽の篩にかけることであった。

 本書が世に出た当時、毀誉褒貶が甚だしかったのは、ストレイチー自身にヴィクトリア朝時代への憎悪の念があったためと言われる。だが、猛獣使いの鞭さばきのような強かな文体は、自らもそうありたいと望む人物像を描き出しはすれ、粗野で卑小な影は微塵もみあたらない。上下2巻の大冊に尤もらしく納まることを良しとした従来の伝記とは何という違いであろう。それら精緻を極めた職人芸の特徴と言えば唯一つ、長すぎること。伝記とはもっとシビアでデリケートなものではなかろうか。そうだ、ナイティンゲール!彼女の最高善に点火された激しい個性こそ創作文芸に似つかわしい。些かは無頼の謗りを免れないとしても、なんとか本性のままで、生きることに折り合いを付けたい作家魂である。どうやら自己表現の場に恰好のモデルを探し当てたようだ。よいしょが嫌なら扱下ろす、或いは褒め殺しと言う手もある。事実が事実であるためにこれくらいの工夫は要るだろう。無事「ナイティンゲール伝」を脱稿した彼は伝記文学と言うジャンルの草分け的存在となった。

 疑わしいが発見の余地もある。天才はそんなところにしか家を建てたがらない。だが、クリミアの窓は印度では開かれてはならなかった。頑固一徹な経験主義者は力関係で負けたと判断したようだが、細菌学の常識を無視した信念は天才雲を掴むの類であろう。もう一人、行き過ぎや手抜かりあらばこそイギリス的徳義の怪物的権化、堅信礼の鑑のような人物にスポットが当てられる。著者の洞察力が最も冴えた傑作・「アーノルド博士伝」。颯爽と登場する教育界のカリスマは、ギリシャ・ローマ以外の教科には眼もくれず、ひたすら伝統を遵守し文武両道を生地でゆく。しかし、物議を醸すだけで、これと言った評価も得られない一時代の麗姿、今日ではラグビー所縁の名門校の校長として知らぬ人はないのだが。

 詩的散文家として一目措かれたストレイチーも、これら珠玉の小品に「エリザベスとエセックス」(1928年)の労作が加わることで、堂々と古典作家の仲間入りをすることになる。
 


  

 

 

 


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