清冽果敢な夢と、心に秘めた恋。一途な思いで今にも張り裂けんばかりの不幸。プーシキンなきあとのロシアの詩壇で、この天才を充分意識しただろう、閨秀詩人アンナ・アフマトワの詩には、失意と憧れが織りなす、名状しがたい魂の絵模様がある。栄誉と苦難の御影石の町ペテルブルグ。悠々と裳すそを広げるネワ川の静謐を湛えた詩情ほど、彼女に相応しいものはない。その源流をプーシキンに遡る、詩的根拠とも詩的現在とも呼べるものだ。カフカに於けるプラハのように、彼女はペテルブルグで生涯の夢を育んでいた。
並木道をひかれゆく仔馬
くしけずられた鬣の長いうねり
ああ 謎の 魅力に富んだ町よ
わたしはおまえを愛して かなしい
ひとしなみ馴染んだ町の中心には、自分自身によく似た大理石の銅像が100年という長い歳月を孤独の裡に耐え忍んでいる。傷ついた夢が翼を休めるこの魂の支柱に、彼女のシンパシーが濃い縁取りを添える。終末論的な時代の空気を誰よりも早く読み取らざるを得なかった感性の機微。彼女は逃れられぬ運命を次のように表現する。
いいしれぬ なやましい音楽が
庭園のさなかに鳴りわたる
皿のうえに 氷をそえた牡蠣が
生々しくはげしい 海の匂いをはなつ
危険な美しさを孕みつつ彼女は円熟してゆくが、純粋で傷つきやすい性格ゆえに、詩作の「念珠」を編むことによってしか、生涯を全うすることが出来なかった。その一方で本国新政府とは相容れぬ頑なな思想の持ち主でもある。「私は右の手に 左の手ぶくろを はめたのであろうか」−そんな現実との折り合いの悪さから、晩年は唯、ひたすら内面に閉じ篭る。夫と離婚し、最愛の息子を刑場に奪われ、何よりも彼女自身が先ず癒されなければならぬ秘教主義者であった。
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