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日付:

2006/02/22

タイトル:
悪の華 * 巴里の憂鬱
著者:

シャルル・ボオドレエル (斎藤磯雄 訳)

出版社:

東京創元社

書評:
 

 西欧世紀末のダンディズムの御三家といえば、まず、モンテスキゥ伯爵、彼はそのスマートさでモード界の筆頭株主。気難しがり屋のバルベー・ドールヴィイは奥の院。変り種のワイルドは、ご婦人方の無駄話にはお誂え向きのクッキー、しかも長持ちのするスキャンダルの花だ。これでほぼ、揃い踏み。あとは彼らの作品や伝記を読むことで全容が窺い知れる。

 ボオドレエルは その教養は勿論のこと、ダンディズムに就いての素地には事欠かない。が、芸術を愛しすぎた余り、ダンディとしては、やや格下げの感がある。ちなみに不感無覚の高踏派の体位測定器では、どう背伸びをしても合格点に至らなかった。そもそもが、金を無心する際の田舎芝居にすぎない。世辞に疎く何事にも本気になれない詩人の、制作上の骨休めのひとつ、極私的なパフォーマンスの域を出なかった。奇矯な思いつきや言動が彼の詩のどの一行にもおよばないのは申すまでもなかろう。うっつけによる韜晦で詩の聖地を守ったのだ。意識体のぼんやりした霧の方角。そこにあさっての肉がぶらさがっている。同僚の肩をポンと叩くだけで、取りあえず今日のパンが手に入る。しかしこの離れ業、高潔なリラダンをいたく驚かせたらしい。

 所謂「近代的自我」は<方法論>あっての事、詩を手鏡として自意識過剰に陥り、絵画、音楽、へと領海侵犯を企て、文学全般をも鳥瞰して、論を立てる。ボオドレエルは批評家の皮切りでもあった。一方、彼自身、「黄昏の美学」と呼んだダンディズム。−彼以後の詩が、ロマン派ののっぺりした顔に美しい皺を刻んだことを思えば、満更、捨てたものでもない。エポック・メーカーとしても一流であったことになる。「パンセ」から「感想私録」へ、神・目的社会の欺瞞性を暴いたパスカルの崇高の理念は、ジャーナリズムの根幹に拘るものとしてボオドレエルに受け継がれ、より仔細に渉って零落社会の風俗の分析に充てられる。勢い、人間的な余り冷徹な、詩人の視座はダンディズムの衣を纏わざるを得ない。

 本題に戻ろう。世紀の戦慄と世界を畏怖せしめた「悪の華」だが、もしこの詩集なかりせば、巴里は愚か、世界のあらゆる都市は褪色して顔を失う。丁度、セザンヌがサン・ヴィクトワール山をアララト山脈に置き忘れたように、巴里風景はマッチの火とともに燃え尽きて、世界の夜景は悪の華となった。誰がインモラルな砂漠地帯を望むだろうか。誰も望みはしない。私たちの背後にはいつも、全身をボロボロにして背徳のガス抜きをやり遂げたボオドレエルが居る。

 そんなわけで、律儀な報道機関では昔ながらお馴染の、気の抜けたビールのような質問に対しては、私はいつもこう答えることにしている。

 ふむ、無人島ねえ、一冊の本ねえ。そしたら君、ほれ、この本しかないだろう。ボオドレエルの「悪の華」。−出来たら、天金総革のものがいい。−潮風に揉まれて私がお陀仏になる時も一緒さ。

 

 

 

 


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