<生き永らえた言葉>とツェランは言う。ひとは生得の言語や押し着せの諸外国語を通してコミュニケーションを積み重ねるのだが、もし、戦時下の混乱で身辺の拠り所を失い、人間不在の言語域に取り残されたに過ぎないのなら、筆禍以前にことは無感動な軌跡を描いて二度目の死を迎えるだけであろう。そうではなく、日常の体験から切り離された言葉と詩魂の拘り合いが息を吹き返したとなれば、この発言も容易には見過ごせまい。本人が自覚しょうとしまいと詩人が詩人になる瞬間というものは確かにある。まだ幼いうちに、父の死と向き合わされ、イーディッシュ語やヘブライ語の文脈が途切れがちになる中で、教育熱心な母親によって身に着けたドイツ語は、不幸な巡り会わせゆえに被害者意識なしに話すことも書くことも出来ない。荒海に浮き沈みするブイのように、残酷な吃音症の彼方に垣間見る<言葉>だけが生きるに値する人生の指標となっても何の不思議もなかろう。或いは、忌まわしいホロコーストに於ける一連の惨事が現実の脅威である以上、言葉であって言葉でないもの、反牧歌的な牧歌こそ、引き裂かれた魂に最も相応しい衣装なのかも知れない。この語学力に恵まれたボヘミアンは魂の格闘家でもあった。
この程、上梓された[改訂新版]パウル・ツェラン全詩集を精読するにあたり、「その通り!」と大きく頷き、思わず膝を叩くフレーズに向き合わされること屡であった。それが何なのかと聞かれても、これこそ詩であるとしか答えようもないのだが。恐らくマラルメやランボーが捨て身の覚悟で見たものをツェランも見たのであろう。只、観点の違いとでも言おうか、或いは民族意識に潜む執拗なエニグマの灰汁抜き、それらを通して、もし、こんな喩が許されるなら<メシアを迎える為に開かずの門が開かれる>−千年王国到来の予兆と言っても強ち穿ちすぎた言い分ではなかろう。それを裏付けるかのような作者自身の言動もある。現実主義者・ユダに擬え、「剽窃家、詐欺師」等と我とわが身を貶めずには、<そのもの>を正視出来なかった良心の呵責と絶頂期にありながら詩作を断念した自殺という結末がそれである。
ツェランの詩は、わからないものはわからないままに書き留められたフレーズにこそ、却って生と死の戦慄の強かな手応えを感じてしまう。単なるレトリックではない誠実さそのものの表現の流儀を充分弁えた上でなければ、全詩業の訳出はおそらく不可能であろう。何はともあれ、この度の個人訳で始めてツェランの全貌が明らかになった。思えばツェラン往年のパリは美と安寧秩序を脅かされ、火に油を注ぐような危険分子や前衛運動家の坩堝と化していた。取分け具体詩のグループや超現実主義者達との慌しい交流は、その似て非なる創作態度による温度差に馴染めず、個人的な交友関係も、思弁家のルネ・シャールから夢想肌のアンリ・ミショーへ傾くなど、その振幅の激しさは彼の詩の奥深さを物語っている。ちなみに「遠方の賛辞」と題された一篇には、当時、アンビバレンツの渦中にあった詩人の途方に暮れた傷心ぶりを伺うことが出来る。
お前の目の泉の中で
狂気の海の漁師たちの網が生きている。
お前の目の泉の中で
海は自分の約束を守っている。
ここでぼくは投げる、
人間たちのもとにとどまっていた一つの心は
ぼくの服と 誓いの輝きを−−
黒の中でも もっと黒く、ぼくはもっと裸だ。
抄出したこのさわりの部分よりも、さらに言葉が凝縮されて極寒の空に凍りつく北斗の針のよに張詰めた緊張感を漂わせている詩句は以下の通りである。
エメラルドの軌道に
撃ちこまれて、
幼虫の羽化、星の羽化、あらゆる
竜骨をつかって
ぼくはお前を探す、
底なき底を。
(エメラルドの軌道)
「虚無の残滓」のように人間不在の岸に乗り上げたシュールレアリズム以後の文芸思潮を、魂のドキュメンタリーとして再編成したツェランの詩法の今日的意味は測り知れない。それにしても彼の作品がさまざまな解釈を許してしまうのは、それ自体としては明晰な夢が、生活基盤を失った民族の思想的混迷という見易い道理に染まってしまったり、頑固な原理主義者の要素還元的アプローチに歪められたりするからであろう。その挙句、もっともらしい謬見がいつの間にか一人歩きしてしまう。コスモポリタンとしての悲劇的な生涯を括弧で括り、あの片翼飛行的なスリリングで奇怪な言語操作にのみ執して、カバラ以外にはありえない呪法、等と結論づける輩の言はその顕著な一例である。
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