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日付:

2004.11.8

タイトル:
ライ麦畑でつかまえて
著者:
J.D.サリンジャー
出版社:
白水社
書評:

 学業不振で退学処分となり、さまにならない三日間の放浪を余儀なくされた主人公の取り留めのない独白を書き記した青春文学。アメリカン・ドリームを体現した兄への批判とも取れる無目的な行動は、人知れず想像を巡らす彼自身の内面の地図上にしか現われない。謂わばアンチ・ヒーローを通してもう一つのアメリカが肉感的な言語で語られていくのだが、大都会の暗闇に蛍のように明滅する心の軌跡を見失うまいと読者は細心の注意を払うこととなる。この17歳の不良少年の言葉は神託のようなものだ。

 ところで真昼の喧騒でごった返すニューヨークにあって、塵芥に過ぎない少年の心の暗部はナイーブで傷つきやすい。その侭では水に錆付くだけのナイフか、風に流されて杭に貼りつく羽のようなものだろう。だが、生身の傷口から吹き上げる言語と一体化することで、身一点に生きなければならぬ無防備な現在をやり過ごす。この反抗というスタイルだけは主人公を通して終始一貫している。独特な語り口と反語的な言い回しは、世の中のインチキぶりを測る延び縮み自在な巻尺のように胸のポケットからいつでも取り出せるのだ。また研ぎ澄まされた感性の針は、裏返しに着込むこととなった日常の破れ目に夢と不安のパッチワークを色鮮やかに縫いこんでゆく。

 ホールデン・コールフィールド。思わず舌を咬みそうな、この主人公の名前はどうだろう。敬して遠ざけたい棺桶のような印象を与えないだろうか。本人自身が持て余し気味の厄介な「性格」と、日常茶飯のづっこけ「行動」パターン、それにあまり有難くないこの「名前」が加われば、脱世間の三位一体の精神構造が嫌でも成立してしまう。まして何かにつけ多感でアンビヴァレンツな思春期である。環境のインパクト次第で何処へ転がり込もうと不思議はないのだ。 

 大人の背丈程もあるライ麦畑は子どもたちに取って格好の遊び場である。スコットランド民謡に唄われているように、遊びつかれた子どもたちは、暮れ方の道をやがて思い思いに家路に就く。そんな光景に標準を合わせるようにして、この家出少年は自分の夢を妹に打ち明ける。ライ麦畑の守護神になって、迷子がでないように最後まで子どもたちを見守りたい、と。

 土砂降りの遊園地で、回転木馬から降りてきた妹に手をひかれながら、両親の元へ帰る。こんな奇妙な矛盾撞着に陥ったところで、物語は幕となる。「妹」は希望のシニファンでもあろうか。たしか、夢と現実の回路を断たれた、変身の主人公=グレゴリー・ザムザにも天使のような妹の存在があった。

 

 

 


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