やがてあたりは静かになった−
それから母が食べ物をこしらえた
わたしたちは待った 暮れていく森から帰る
父の疲れた足音を
(屋根裏)
戦乱に明け暮れた20世紀、とりわけ今次大戦で、運命的な一民族に刻印されたホロコーストの傷口は深い。その忌まわしいトラウマを引き摺って母国を追われた著者は、由緒ある文学の国・イギリスへ心正しい放浪の旅に出る。しかし、人生そのものが歴史の禍禍しい爪痕である詩人にとっては、繰り返し呼び戻される屋根裏の記憶が終の棲家であろう。亡命作家の多くがそうであったように、彼女もバイリンガルで、創作言語として外国語を選ぶ。ホロコーストの最期の生き証人によるインターナショナルな問題提起は、母国語を離れてこそ意義深いものとなった。このコスモポリタンなエトランゼは、日常(ドイツ語)を忘れるために詩(英語)に没頭する。ともあれ、実らぬロマンスのような言語体験が彼女の戦いを甘味だが、時には苦いものにした。普通の暮らしに対するハンディを異郷の地で癒そうと試みる所作が、
まだ成就しない恋
触れてみたい温かい肩
に寄り添うようにして、彼女の中で力強い確信に満たされる日もそう遠いことではないように思われる。何故なら泰然自若とした83歳の詩人は次のように歌うことが出来たのだから。
私たちの足取りは やがて問題にならなくな
るだろう
影は木々に呑みこまれてしまうだろう
私たちの植えた思いはどこかに根付くだろ
う。
(風景はかわらないまま)
詩の一行一行が信仰箇条のように彼女の心の奥底に畳み込まれてゆく。天国はこの世の地獄を目の当たりにした者にしか真実の姿を現すことはない。
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