飽食とは欲望を飼い太らせて自滅した欲望それ自身。箍の外れた樽、底の抜けたバケツだ。あらずもがなの概念規定とあやふやな選択肢で、まことに締まりのない世の中となった。だから「<貞奴>は自分にとってのレアリティ」等と、わざわざ自註を施したのだろう。当然ながら戸籍上の事実は不問。詩集一巻だけが俄かに現実味を帯び始める。<貞奴>とは一体、何者? ちなみに「鯖」はバサラのさばかコンサバティブのさばであろう。しらばくれた彼女は、こんな風に私たちの前に登場する。
「紛れてしまえばどこへでも入っていけるような闇の中を、迪子は歩いていった。/黒い薄手のセーターを着て。ぴったりとした黒いパンツを穿いて。首にはうす緑色のスカーフをまいてひらひらさせた。/公園に着くと、桜はひとつも咲いていなかった。/桜が咲いていないことなど、迪子は最初から知っていた。知っていて、わざと咲いていない夜桜を見物に来たのだった。」
何と又ややこしい風景であろう。しかしこれ、ずばりネガフィルムでしょうな。クィック・スローの猫踊で処構わず<貞奴語>が火花を散らす。半ば略奪的な命名式、自我の平板化を拒み続け、他者意識を踏み損ねた、生後ほぼ6ヶ月とその10倍の年月、成人後はノイローゼに罹り、ひとり川向こうに置き去りにされた掟破りの天女、今や、おんとし200歳の妄執の鬼婆だ。−夜は夜もすがら自分の影に脅かされてばかり・・・。
では貞奴さま、ポジフィルムをお目にかけることにしましょう。
公園の暗闇で、鉢合わせした変態男が叔父の姿で中々実像を結ばない。スカーフは枝に千切られ、その場は恐怖で凍りつく。ピンク色のトラウマの渦巻き。本当は、スカーフだってピンク色なのさ。挑発された中年男は叔父さんなんかじゃない、お父さん。黒一色なんてありえない、妖艶なレオタード姿で刺激的。公園の夜桜はそのとき恐らく満開でしょう。
どちらにせよ私は私。−これが彼女の心頼みの哲学と言うものであり、自己決定権が何者かと刺し違える現場こそ、彼女にとってのレアリティなのだ。間違わなければ意識はない。間違うがゆえに我あり。それが貞奴だ。彼女は荒々しい人魚のようにぴょんぴょん跳ねる。
皆さん縮れてますか
サダヤッコです
わたくしは
陰毛が縮れているのは
「衝撃に対する
緩衝材としての能力強化」
若しくは
「匂いをためる」
ためなのではないかと
考えております
では、ご機嫌よう
こんな了見ならばこそ寸分の狂いも許されぬ。絶えず緊張を強いられながら、膝に犬を抱き寄せ、球根の皮を剥く。このワクワク星には休止符と言うものがない。
貞奴? 彼女の名を聞くとき、ひとは荒天直下にくるくる回転する凧を連想するだろうか? それとも、日没を待ちかねて繁殖する蟇蛙? それとも、夜のピアノ線を震わせてソファーを横切る灰色の金魚? ets.ets.
何という不幸せ、不機嫌かつ不愉快な。
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