パウンドとの出会いで創作に弾みのついたエリオットだが、処女作「荒地」のデビューが、現代詩に与えた少なからぬ影響を思うとき、天の配剤も乙なものと言わざるを得ない。しかし芸術家のゴシップがまだメディアの話題に上らない当時のことだ。扱い難い「現代詩」をテーマに、若き日のエリオットにスポットを当てた大胆な試みが成功する確率は低かった。−本書は、そんなオジックの野心作が精彩を放つ、表題作ほか八篇の短編小説からなるアンソロジーである。
ロマンチシズムの母体となり、近代的自我の神話化を推進め、ヨーロッパ全域の文芸思潮を支配してきた民族主義も、二度に亘る世界大戦と、その結果台頭した20世紀後半の文化相対主義によって急速に衰える。その後も価値の多角化はエスカレートする一方で、沈黙と饒舌、緊張と弛緩を繰り返しながら時代は混迷の度を深めるばかりだ。若年寄、プルーフロックの禿頭ではないが「高所の恥さらし」にこそ偽らざる現代があった。空白を「埋め草」として自ら所望する駆け出し論法も、「世界の肌ざわり」に慣れ親しむための常套手段となった感がある。
さて、「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」という原題でオリジナルが息を吹き返し、「初出バージョン」を遼に上回る人気を博すことになるのだが、パウンドの改作が捨て難いのも事実である。かっては虎の威を借る狐、仮令、ノーベル賞作家であれ、師の影は踏めそうもない。では、その証拠物件を挙げて、お手並み拝見と行こう。
The apparision of these faces
in the crowd;
Petals on a wet,black bough.
(地下道に現われる貌々々・・・
濡れた黒い枝にしがみつく花びら)
これは、余りにも広く世に知られたパウンドの傑作である。
ひょうきんな道化師が、引き締まった精悍な顔を振り返るとき、一つの時代が音を立てて崩れ落ちる。
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