本書は精巧に磨き抜かれた巨大な多面体のダイアモンドの鏡のように人夫々の立ち位置を照射してくれるだろう。我田引水や牽強付会に終わるものではなく、ともすると論点回避に陥りやすい問題に真の解決をもたらす思考の始まりを促しているのだ。固定観念や既成事実による弊害は、自由で価値創造的な精神活動の本来性を歪め、人間が等しく持つ潜在能力を常識や慣習の檻に閉じ込めてしまう。制度上のバイアスが人々の欲望のどの部分にかかるかは問題ではない。イデオロギー社会や権力構造の中でどう振舞うかの行動一般に就いての精緻な分析は革命の必要を強調しているわけでもなく、良心の暗黙の了解の上に成り立つアプリオリな定見を是認するための結論に導くというものでもない。その本来性における「責任と判断」は、ことあるごとに猛威を奮う「服従」という悪質な言葉を道徳的および政治的な思想の語彙から取り除き、寧ろ「支援」の結果がそうなのだと思い直すことで、「人間であるという地位に固有の尊厳と名誉」を取り戻す一人ひとりの自覚の中にしかない。ニーチェが予言しハイデッカーが警告した思考停止社会の世相の混乱に終止符をうつべくポストモダンの一つの解がここにある。えっ、<発想>の転換?それに違いあるまい。ところで、「お母さん、僕を生んでくれて有難う」などと、息子が自分の誕生祝に言付けて母親に贈り物をするとしたら、それは一体どんな社会だろう。冗談はともかく、価値転換社会では信頼回復の兆候を読み取る種々のモデルケースが考えられるが、選挙制度がその典型である。アレントの政治思想の中核にはサルトルのアンガージュマンのキーワードがある。
社会学の巨匠・ジンメルやウェーバーの学説を補填する一級の学術論文でもある本稿は、「ニュールンベルグのアイヒマン裁判」に於ける原告と被告の取り交わした衝撃的な証言記録が直接のきっかけとなり自己の体験に基づいて起草された未公刊の遺稿集である。本書は<小さな悪>という麻酔薬で眠らされていた巨大な悪を呼び覚ますと同時に、人として生まれ社会人として生きる行動原基とは何なのか?を問うことで価値顛倒社会の構造の歪みを摘出し、複雑に入り組んだ病巣にメスを入れた人間心理解剖学でもある。かたやオカルトの黒い霧に包まれた陰謀論があり、かたや国家の存命を賭けた砲火と亡命民族の筏に千切れ飛ぶ血染めの旗とマルサスの人口論の戦慄が尾を引くカリスマ支配の疾風怒濤の政変史があり、まさしく20世紀はコーティションマークがクエッションマークに突然入れ替わった<社会行動文法>による文脈の乱れが地球規模に及んだ「戦争と言う名の平和」の世紀であった。もしかしたら<地球性器のエレクト>とサド侯爵なら狂喜絶句したかも知れないユートピアとも言えるだろう。しかし、私たちに残された今日的な課題の多くはこのような地道な理論の積み重ねで解決してゆくしかない極めて困難な局面に於ける共同作業を要求するものなのである。歴史と一夜をともにする者に朝は来ない、眠られぬ夜を過ごす者だけが枕を蹴って朝を迎えるだろう。「お前の歴史に忍び込む、それは主人公を怒らせること」とマラルメは言った。仮令、あと智慧と呼ばれようとも、いまや何が起こってもおかしくはない世の中である。プロメティウスの火に役立つものは何でも投げ込もう。アレントは目に見えない頑丈なアリアドネの糸を迷宮入りとなりかねない事件解明のために用意して呉れたのだ。
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