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日付:

2012/11/12

タイトル:
「世論」の逆がおおむね正しい
著者:

西部遭 

出版社:

産経新聞出版

書評:

            
  終戦直後の京都はダダイストや未来派が狼煙をあげたシュトルム・ウント・ドランクの最前戦基地で、血気盛んなスノッブ達で溢れかえっていたが、元祖モダニストで大詩人の稲垣足穂にこんな言葉がある。「悪人は自然死する。とりわけ独裁者ともなれば花で飾られたガラスの棺に悠然と身を横たえるだろう」と。その一方で、「食道楽は男根を断つべし」などとも。それらユニークな殉教讃歌の裏返しが、死ぬ機会に恵まれてこそヒューマニズム社会との格言になるが、今や、世はあげてグルメ天国である。しかも何度死んでも死に足りないご時世とあれば寧ろ生き地獄ではなかろうか。美少年のしなやかな腰の括れとふっくらした尻の小さな窪みにうっとりとなる「A感覚」の足穂尊者が国粋主義者であったかどうかは不明だが、<地上とは思い出ならずや>という飛び切り上等の名言があるところをみると、涙ぐましいロマンティストであったことはほぼ間違いない。そこで難問。長寿大国はほんとうに悪魔帝国なのかどうか?平和主義は一背馳にまみれた敗残兵の掲げる無印の白旗でしかないのかどうか?科学と宗教の股裂きで仮死状態となった価値観の立て直しこそ人類生存に拘る危機管理上の最優先課題なのだ。

  
  グローバリズムの混乱は、この惑星がタルホ圏内に突入し、愈々もって深刻な存亡の危機に晒されたことを物語る。全くのところ、ピカドンに恐れをなし、マッカーサー元帥を梵天・帝釈になぞらえ、本国を釈迦に赤子を取り上げられた鬼子母神に貶めた作り話で一億総懺悔というまさに半狂乱の体たらく、そこまではまだ一島国の牧歌どまりだが、先進文明諸国にとって長期延命の手段として究極の選択となるプルトニウムの活用となると、強烈な放射能汚染の副作用で環境破壊どころの話ではなくなるらしい。そもそも国家百年の大系は民族感情の道徳律による法制化によって整うものだけに掛替えがない。今回の800年に一度と言われる津波による我国の二次災害は、付け焼刃に過ぎない対米依存社会の液浄化現象であると断言して原発のタブーにも触れている。<嫌われ爺>の蔑称を自認して面白おかしく吹聴して回る著者だが、公開討論の場を借りて黒板に大書する。「何をしてもよいというのは何をしていいかわからないのと同じことだ」と。古代ギリシャ語のテクネは生活の智慧、賢者の石まがいのロジックと合体してテクノロジーとなった。嘘の上塗りに過ぎないデリバティブ然り、大義名分の鍍金がいつ剥がれても可笑しくはない自縄自縛の罠である。自然がまんまとその手に乗るはずはないのだ。やはりサイエンスはイブを唆したいけ好かない悪魔の慰撫であったのかもしれない。

  男らしい気概に燃える啓蒙性ゆえに、少々下世話な面もあるが、西の賢聖・稲垣足穂から四半世紀遅れてデビューした東の闘将・西部遭は、論壇を煙に巻く逆説の名手として知られた孤高の文筆家である。悪党スターリン、狂人ヒトラー、カンカン坊主内閣(=管首相の鍋たたき政権)、その他、ゴッド・ファーザー然とした威風堂々の命名式には胸の透く思いがする。好評を博した「西部遭ゼミナール」のダイジェスト版にあたる本書は混迷を極めた我国の退行現象に渇を入れるにはもってこいの一級のテキスト。「自己実現のあとは法を超えず」との隠居宣言にも拘らず、TV出演となったぬきさしならぬ経緯には西部ドクトリンの業績評価が見え隠れするのだが、もう言い残したことは何もない、と言わんばかりの呆気らかんとした態度表明はどうだろう。如何に細部にわたり編集の手が加わろうとも、西部流の自然体はびくともしない。わけても東電バッシングのさなかの発言は人生のエキスパートとして達観したひとの肉声のように屈託がない。「僕に言わせれば、威張っていたとしたら、あんまり威張るんじゃないと言ってやってもいいけど、たかだか私企業間の私怨に当たることをこんな国家危機の真っ最中に晴らすんじゃないと言いたい。それこそ人間以下の所業ではないでしょうか」―何はともあれリスクを呑み込むスーパークライシスの到来である。押しなべて機械ではなく人間の所業、さらに言えば天罰を前向きにうけとめて一瞬たりとも疎かにしない人類の意思、さあ、今からでも遅くはない、洋の東西の生命線を仕切り直して、灯明を高く掲げよう。

 汚染情報が情報汚染となる風評被害のからくりをテーマに、人情の機微に通じながらも世事に疎く脛に傷持つ落ち武者には勿体ない聖母マリヤのような奥様がいて、こんな微笑ましいやりとりの一齣があった。「このほうれん草の記事をどう思う?」「ポパイだってそんなに食べきれませんよ。まして私たちのような胃袋ではね」・・・どうぞご勝手に、と突き放されてから30年、まだ死ないの?を挨拶代わりに、晩秋の日差しもまばらな昼下がりのお茶の間で夫婦水入らずの談話がはずむ。




 

 

 


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