マルクス経済学は重化学工業社会のプログラムに過ぎない。ポスト工業社会の波に抗しきれず、IT産業の追い討ちに合い、市場からの撤退を余儀なくされた。−この斬新な切り口だけで、世の無定見なエコノミストのおよそ九割方は一掃されるだろう。長年、計量経済学で培われた著者のキメ細かな論旨の展開は、本書の醍醐味でもある。
21世紀の重い扉に手をかけたのは、グローバリゼイションと言う恐るべき怪物である。これを自明の前提としなければ、冷戦後のパラダイム・シフトは起こりようがない。問題は、この怪物をどう手懐けるかである。9.11同時多発テロで、図らずも正体を現したアメリカの一国主義に道をあけるか、経済圏のブロック化で持ちこたえるか、当面は、厳しい選択を迫られているとも言う。恐らく今後も、100年単位の事件が矢継ぎ早に持ち上がるに違いない。長いユートピアの夢を醒まされた我々にとって、直面する現実は複雑怪奇、矛盾だらけで、その価値観も多様である。著者は学問本来の精神に立ち返り、様々な語義解釈を手懸りとして、説得力のある結論を導き出そうと試みる。
ファンダメンタリズムの起爆装置と言えば「侵略」だが、これはグローバリゼイションの奥の手でもある。資本主義社会の文脈上、避けて通れないこの種の問題に、窮余の一策として著者は「第三の道」を提唱する。市場と国家の対立を、リスクの共同管理体制に置き換え、相互に補完し合おうとするもの。ちなみにグローバル・シチズン(地球市民)の自覚のもとに、世界政府を実現すること等も射程に入る。著者の実践理論の持つ強みと言えば、このように現状認識が現状追認で終わらないことであろう。
ところで、マルクス主義の対極にある市場絶対主義。理論上は暴力的に帰結する筈だが、その典型的なモデルがサッチャー主義である。そもそも反面教師であるにも拘らず「20年遅れのサッチャー主義」と言われる我国の構造改革。このままではイギリスの二の舞で、教育の荒廃と福祉の立ち遅れによる弊害が治安の悪化を招くこと必定。「構造改革なくして経済成長なし」の頓珍漢な小泉節は耳にタコが出来るくらい聞かされた。元々、改革が苦手な国民性である。誇大広告まがいのキャッチ・コピーに過ぎないのは解り切ったことではないか。ざっとここまでが著者の鞭である。
「みんなが住みよい社会こそ働き甲斐のある社会」− 高度経済成長の達成感によって勤労意欲を失い、貧乏神に取憑かれただけだから、初心に帰るだけでよい。こんな風に諭すのが計量経済学なら、ああ、もっと早く近づいておけば良かった。なんとも懐かしくも忘れ難い紙芝居の水飴の味ではなかろうか。
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